社会人になって
大学卒業後、わたしは1990年に、とある企業グループの不動産会社に入社しました。
時は、バブル景気末期。
入社試験を受けさえすれば、必ずどこかの内定がもらえる。
そんな時代でした。
高校、大学と演劇に明け暮れ、上京当初は、俳優や映画監督になる夢を抱いていましたが、すぐに挫折。
お芝居は趣味と割り切って、ある時期から、『お金を稼ぐ』ということに興味が移っていったのです。
なぜなら、時はバブル。
大学の同期には高級外車を乗り回す、いわゆるヤンエグ(ヤングエグゼグティブ、今でいうセレブです)がウジャウジャいて、暇さえされば合コン、ダンパ(ダンスパーティーのこと)。
家賃3万円6畳一間に2つ違いの大嫌いな兄と住んでいたわたしは、お芝居にかけるお金もままならない生活をしていたので、そんな世界とは当然無縁です。(芝居をやる学生はみんながみんなお金とは無縁でしたけど)
贅沢をしたいとは思わなかったけど、とにかくお金の心配をしなくてもいいくらいのお金は欲しかった。
演劇の先輩の紹介で大学2年生のときに週3日、焼肉店でのアルバイトを始めたのが、お金を稼ぐ始まりでした。
時給は1200円。
夕方5時から午前0時まで。
まかない有り。
閉店後は、お酒飲み放題、お客さんが残したお肉をストックしておいて、それを焼いてつまみにするのです。
時はバブル。
松坂牛が飛ぶように売れて、ひと口ふた口つけただけでほとんど残したままのお客だらけでしたから、松坂牛をたらふく食べて、浴びるようにお酒を飲んで、電車の始発に合わせて店を出る。
大学4年のときには、お芝居のことなどコロッと忘れて、週5日働きました。
夕方4時から深夜1時まで働いて時給1500円。
月に25万円ほどになっていましたから、学生の分際でかなり調子に乗った生活をしていました。
焼肉屋のバイトを終えたあとで、一人で別の高級焼肉店へ行って、松坂牛を食べて2万円…みたいな。
「お金稼ぐなんて簡単じゃん」
まあ、22歳のクソ生意気な若造が世の中を舐めくさっていたわけです。
就職活動なんてまったくしません。
就職活動しなくても就職できましたから。
世の中舐めくさってましたから。
給料がいい!ってだけで、企業グループの会社を受けることに。
同期のツテを探しました。
そのツテは不動産会社にいました。
と、いっても、やることは、本当に、同期のツテで大学OBを訪問するだけです。
試験という試験すら受けていません。
不動産会社の先輩と一度お酒を共にして、数日後、「会社に遊びにおいで」と、言われ、なんとなく伺うと、取締役の偉い人が待っていて、「うちに来る気ある?」と、聞かれ、小脳だけで「はい!」と返事。
その直後、先輩が、宅建(宅地建物取引主任者)の資格試験問題集を3冊ドンと机の上に置いて、
「これ、しっかり勉強してね。試験受からないと仕事できないからね」
そこで初めて、
「ここ不動産の会社なんですね」
と、気がついた。
「そう。だから宅建の資格ないと、やばいよ。えっ?マジで知らなかったの?きみ、案外大物だね〜」
これ、ホントの話。
なんにも考えてなくても就職できました。1990年当時は。
そして、同期は約150名。
気合の入ったやつが多かった。
入社前に避暑地で3泊4日の合宿があって、毎朝やたら大きな声を出す練習をさせたれたり、運動会みたいなことやったり、キャンプファイヤーを囲んで歌合戦みたいなこともやったり…。
正直、この会社のノリなんなんだ?と、終始、戸惑うことしかなかったのですが、
「ぼく思い切り楽しんじゃってま〜す!」
と、いうふりをして、なんとかノリ遅れないように必死でした。
でも、入社当日には、完全に、
(自分にはこういうノリ無理かも…)
と、思いつつも、せっかく就職できたのだからと、
(大丈夫。社会人になれば、きっと慣れてくるはず)
そう、自分に言い聞かせて、自分に嘘をついて、思い切り、ノリのいいキャラを演じる決意までして、入社したのです。
でも、ダメでした。毎朝、朝礼で今日の目標を発表し、最後に、「エイエイオー!」と、拳を振り上げるのです。
夜は、ほぼ毎日、飲み会です。
お酒が好きで、お酒が強いほうだと思っていましたが、当時のサラリーマンの飲み方は凄まじかった…。
わたしは全然ついていけませんでした。
それ以前に、仕事についていけないのです。
そもそも、わたしの能力がついていけない。
周りは上司も先輩もほんとうに優秀な方ばかり。
仕事が優秀な人はお酒の飲み方も遊び方も一流でした。
わたしは、すべてにおいて、ワンランクもツーランクも劣っていました。
日に日に、自分への劣等感が強くなり、仕事の意欲が薄れていきます。
にもかかわらず、たまたま自分が担当した案件がうまくいって、新人の中でいの一番で大型契約にこぎつけて、社長賞をもらってしまって、
「あらら。この程度だったらおれでもやっていけるかも…」
と、勘違いしてしまって、でも、ちょっと時間が経つと、また、すぐに
「やっぱりついていけない…」
の繰り返し。
当時、この会社には”自己啓発”期間なるものがあって、社員が一人ずつ会議室に呼ばれて、そこに上司や同僚がたくさんいて、一斉に口撃されるという自己啓発セミナーが行われていました。
具体的にどういうことかというと、
一人の社員を全員で、一斉口撃するのです。
その社員のどこが悪いのか、よくないのか、仕事の面からプライベート、性格、ビジュアルの面まで含めて、すべての欠点を言いまくるのです。
言われた社員は、その一つ一つの言葉について反論する機会が与えられます。
その反論した言葉について、また、全員から口撃されます。
それについてまた反論する。
それを延々と繰り返すのです。
で、そのうち、どうなるか?
口撃されている社員は、泣き崩れるのです。
そして、
「ごめんなさいごめんなさい。僕は最低の人間です。みなさんのおかげで僕は食べていけるのです。本当にごめんなさい」
泣きながら謝罪するのです。
まるで、催眠術にかかったように、何かに取り憑かれたように、皆が皆、そうなってしまうのです。
鼻水も垂れ流して、まるで、幼児のように誰もが泣き続けるのです。
すると、みんなが一斉に拍手をして、
「よくがんばった!」「えらかった」「きみはすごい!」「立派だった」
と、褒めちぎる。
そして、最後に、泣き崩れた社員に宣言をさせます。
今後、自分はこの会社にどのように貢献していくのか?
すると、社員は、例外なく、涙で潤んだ子犬のような目で、満面の笑みでこう答えるのです。
「昨日までのわたしはダメな人間でした。
でも、みなさんのおかげで生まれ変わることができました。
気持ちを改めて、この会社のために全身全霊で働きます」
一人一人の声を聞きながら、わたしが抱いた感想は、
「こいつらみんな頭おかしくなったのかな〜」
でした。
わたしは、このセミナーの意味がまったくわからず、外から来てもらった講師の人の説明をいくら聞いても、理解できません。
だから、部屋に入ってきた社員を、思いつくままに口撃しなければならないのですが、わたしにはできませんでした。
だから、わたしの順番になっても、みんなの言葉のどれ一つをとっても、わたしの心に響いてはこないのです。
わたしは仕事のできない社員でした。
だから、口撃も他の社員と比較にならないくらいすごかった。
もう完全に人格否定どころか人間失格レベルです。
でも、わたしに言わせれば、いちいち納得なので、まったく反論できません。
でも、反論しろと言う。
でも、反論できないのです。
だから、議論が進みません。
一人あたりだいたい1時間半くらいで落ちるのですが、わたしは3時間くらいかかっても落ちません。
だって、自分のダメな部分をわたしは、誰よりもよく知っていたから。
そもそもプライドもない。
なぜなら、
仕事に真面目に取り組んでいないから。
はなっから、真剣に、一生懸命に生きていない人間ですから、なにを言われても心に響かないのです。
最後は、講師の方から、
「あなたは、本当の意味で救いのない人かもしれない。
もう一度、自分の人生を真面目に振り返ったほうがいい」
そう言われました。
わたしは、このとき、講師の言っている意味が全然わかりません。
なぜなら、
真剣に生きていなかったから
だから、救われるはずなんてないのです。
つづく
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「もっと給料を増やしたい」
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これらの悩みの原因は、すべて、人とのコミュニケーションがスムーズにいってないからです。
自分の思いがしっかり相手に伝わらない。
相手の思いがきちんと理解できていない。
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コミュニケーションは、相手と話をすることだけがコミュニケーションではありません。
コミュニケーションは、相手と会う前から始まっているのです。
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風宏


