道央の保存蒸気機関車めぐり、11機目は岩見沢市万字線公園(朝日駅跡)に保存されているB201です。
B201
1944-2月: 郡山工機部製番11 配属仙台局配置盛岡区黒沢尻支区
1949-6月:小樽築港区
1967-10月:廃車(その後小樽築港区にて保管)
1971-6月:岩見沢市東山総合公園にて保存
1999-7月:岩見沢市万字線公園(朝日駅跡)に移転・保存
1944-2月: 郡山工機部製番11 配属仙台局配置盛岡区黒沢尻支区
1949-6月:小樽築港区
1967-10月:廃車(その後小樽築港区にて保管)
1971-6月:岩見沢市東山総合公園にて保存
1999-7月:岩見沢市万字線公園(朝日駅跡)に移転・保存
私の全国保存蒸気機関車めぐりは、対象を「本線用の国鉄制式機関車」としています。なのでこのB20は入換専用機ということで、梅小路の10号機同様機関車めぐりのカウントのみ対象外となります。
国鉄万字線は、室蘭本線志文駅から分岐し、万字炭山駅までの23.8kmを結んでいました。石炭輸送で大いに活況を呈していましたが炭鉱の閉山後は寂れ、1980年(昭和55年)の国鉄再建法施行を受けて第1次特定地方交通線に指定され、1985年(昭和60年)3月31日限りで廃線となりました。
志文駅から2つ目の旧朝日駅跡が現在岩見沢市万字線公園として整備され、B201が保存されています。まず訪問時の最初の疑問は「万字線にB20が走っていたのか?」
もちろん小樽築港区構内入換専用機であったB20が万字線を走ったことはありません。ではなぜB20がここに?
万字線が廃線になったのは北海道の蒸気機関車終焉からすでに10年経ってからのこと。もう9600・D51・C57といった大型蒸気はなかったので、機関車なしで駅舎のみ保存されたものと思われます。その後15年ほど経ってから、同じ岩見沢市内に保存されていたB20を、駅舎との組み合わせで鉄道公園に整備するために移転したというのが背景のようです。大型蒸気機関車を移転するとなると莫大な費用がかかりますが、小型のB20であれば移転費用も少なくて済みます。
もちろん小樽築港区構内入換専用機であったB20が万字線を走ったことはありません。ではなぜB20がここに?
万字線が廃線になったのは北海道の蒸気機関車終焉からすでに10年経ってからのこと。もう9600・D51・C57といった大型蒸気はなかったので、機関車なしで駅舎のみ保存されたものと思われます。その後15年ほど経ってから、同じ岩見沢市内に保存されていたB20を、駅舎との組み合わせで鉄道公園に整備するために移転したというのが背景のようです。大型蒸気機関車を移転するとなると莫大な費用がかかりますが、小型のB20であれば移転費用も少なくて済みます。
対面したB201は、旧朝日駅舎の前にホーム・屋根付きでぽつんと鎮座していました。ホームはB20のために設置されたようで、現役当時のものではないようです。機関車の状態は、もちろん梅小路の10号機に比べるとだいぶくたびれた感じです。塗装に光沢はなく、キャブ内の部品もほとんどありません。しかし1号機の特徴であるドームの「鐘と鳩」は、おそらくレプリカではありますが健在です。
あらためて公園全体を見ると、実に落ち着ける空間です。旧朝日駅舎はほぼ現役当時のまま。敷地のはずれには貨物用?のホームは現役当時のまま残されていて、そこまで150mほど線路が続きます。B20が圧縮空気でこの長い線路を走ればいいのにな、と思ってしまいますね。
北海道は数々の廃線跡地があり、現役当時のまま遺された駅舎や保存車両がたくさんあります。
その最初の訪問となった万字線公園とB201。かつてここに鉄道があったことを後世に伝えています。
その最初の訪問となった万字線公園とB201。かつてここに鉄道があったことを後世に伝えています。
※2014年9月6日訪問