私の蒸気機関車史(その2) | 海水浴特急【全国保存蒸気機関車めぐり】

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全国各地470余りの保存蒸気機関車を訪ねています。現在の訪問数450機です。

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昨日は私が鉄道、蒸気機関車好きになったきっかけをご紹介しました。今日は初めての「蒸気機関車撮影遠征」であっただろう撮影記をご紹介します。これも自分自身の記憶の掘り起こしでもあります。


昨日の国府津機関区D5272訪問とほぼ同じ時期、私の撮った現役蒸気機関車の写真があります。フジペットで撮ったものなので、画質が最悪なことはご容赦ください。撮影場所は滋賀県の草津駅近くにあった「草津給炭水場」です。
まだ小学生であった私がなぜ一人で横浜から草津まで行ったのかは、今では全く覚えていません。当時の状況から考えるとおそらく兵庫県芦屋市にある叔母の家に、夏・冬・春休みのいずれかを利用して一人で行ったのだと思います。小学生にしてすでに鉄であった私は、一人で列車に乗ってどこかへ行くというのは全く問題なかったようです。親もそれを承知で行かせたのでしょう。

何の列車に乗ったのかも全く記憶にはありませんが、おそらく京阪神ミニ周遊券を使って大垣夜行で行ったものと思われます。当時私はこのミニ周遊券というのがとても好きで、急行列車の自由席に乗れるというのも大きな魅力でした。当時の時刻は定かではありませんが、おそらく横浜を0時前後に発車→大垣駅7:16発の西明石行きで西進したのだと思います。最初から草津に立ち寄るなどという計画はもちろんありませんでした。当時そんな場所に蒸気機関車がいることなど知る由もなかったからです。ここはかすかな記憶があるのですが、列車の車内から外を見ていたら突然蒸気機関車が目に飛び込んで来たのです。あわててカメラを取り出し撮影したのが一番上の写真です。停車した草津駅から近そうだったこともあり、私はとっさに列車を降りました。そして歩いて蒸気機関車の見えた場所まで行ったのだと思います。ずっと草津機関区だと思っていましたが今になって調べてみるとここは草津給炭水場という名称で、草津線を走ってきた亀山区や奈良区の機関車が休む場所であったようです。小さい施設ながら転車台もありました。

一人で場内に入って行き、そこで集っていたD51の写真を撮りました。ちょうど機関車のテンダー上で作業をしていたナッパ服の人に声を掛けられたのを覚えています。横浜から一人で来たことを告げると大そう驚いて撮影を許可してもらいました。その人の写真も撮らせてもらい、煙室前でポーズまでとってもらっています。我ながらなんて図々しい小学生だったのだろうと、呆れてしまいますね。この草津給炭水場が、間違いなく私の人生で初めての生きた蒸気機関車の撮り鉄でした。

そこ気になるのが「訪問日はいつだったのか?」です。残念ながら写真の裏にも撮影日などの記録がありません。そこで当日ここにいた3機のD51の経歴から時期を絞り込んでみました。給炭場に並んでいたのは、ナッパ服の人が作業していたD51759と隣りにD51885。そして給水塔の横にいたのはD51145です。この3機の経歴をみると当時145と759が亀山区、885が奈良区に配属されています。この中で移動・廃車が最も早かったのが759で、1972(昭和47)年4月28日に廃車となっています。なのでこの訪問は1972年、私が小学5~6年生の間の春休みが最も遅いタイミングであったことがわかります。下関から横浜に戻ったのが3年生の時、さすがに親も高学年になるまで一人旅なんてさせなかったでしょうから、この春休みであった可能性が一番高いですね。ナッパ服の方は今でもご健在でしょうか。すでに70~80歳になられているものと思います。写真を見ていると今から42年前、現在と同じように蒸気機関車を撮影してはしゃいでいる自分が目に浮かびます。「三つ子の魂百まで」とは良く言ったものですね(笑)

余談ですがここで撮影した機関車の中でD51885は廃車後埼玉県深谷市の千元山公園に保存され私は昨年訪問しました。訪問時は気づきませんでしたが41年ぶりの再会だったのですね。突発的な途中下車による、思わぬめぐり合いに自分でも感動しています。