兵庫~京都遠征の記事もこれで最終回です。長らくのお付き合い、ありがとうございました。
まずはB2010の後ろに留置されていた1080です。
同機は明治34(1901)年製で昭和15(1940)年に鉄道省から日鉄鉱業に払い下げられ、同社の鉱山で産出される鉱石の輸送に用いられた後昭和54(1979)年に最終運転を行い栃木県佐野市にある日鉄鉱業葛生鉱業所車庫内で長い間保管されていました。平成21(2009)年に西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)に譲渡され、現在は梅小路蒸気機関車館で静態保存されています。
私も葛生にこの機関車があることは雑誌等で知っていましたが、現地で見ることはできませんでした。ここ梅小路で整備され公開されたことは、こういった隠れた鉄道遺産を公にできた素晴らしい事例といえます。
同機は明治34(1901)年製で昭和15(1940)年に鉄道省から日鉄鉱業に払い下げられ、同社の鉱山で産出される鉱石の輸送に用いられた後昭和54(1979)年に最終運転を行い栃木県佐野市にある日鉄鉱業葛生鉱業所車庫内で長い間保管されていました。平成21(2009)年に西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)に譲渡され、現在は梅小路蒸気機関車館で静態保存されています。
私も葛生にこの機関車があることは雑誌等で知っていましたが、現地で見ることはできませんでした。ここ梅小路で整備され公開されたことは、こういった隠れた鉄道遺産を公にできた素晴らしい事例といえます。
そしてもう1両はオハフ5068です。レッドトレイン=50系客車の貴重な保存車両です。
50系客車は、1977年(昭和52年) - 1982年(昭和57年)に製造され、筑豊本線・芸備線・東北本線(仙台地区)などの線区で、特に朝夕のラッシュアワーに使用されました。1両当たりの製造コストが気動車や電車よりも格段に安く、地方部の通勤・通学時間帯に多く運転されていた比較的長編成の旧型客車普通列車の置き換え用として、さらには余剰の電気機関車やディーゼル機関車を有効活用するために製作されました。現役時代は筑豊のボタ山をバックにDD51に牽引さえた50系客車が印象に残っています。現在は塗装色こそ違いますがオリジナルに近い50系が真岡鉄道でC12・C11に牽引されているので嬉しい限りです。現役時代のレッドのまま保存されているのはここ梅小路だけではないでしょうか?懐かしさがこみ上げてきますね。
50系客車は、1977年(昭和52年) - 1982年(昭和57年)に製造され、筑豊本線・芸備線・東北本線(仙台地区)などの線区で、特に朝夕のラッシュアワーに使用されました。1両当たりの製造コストが気動車や電車よりも格段に安く、地方部の通勤・通学時間帯に多く運転されていた比較的長編成の旧型客車普通列車の置き換え用として、さらには余剰の電気機関車やディーゼル機関車を有効活用するために製作されました。現役時代は筑豊のボタ山をバックにDD51に牽引さえた50系客車が印象に残っています。現在は塗装色こそ違いますがオリジナルに近い50系が真岡鉄道でC12・C11に牽引されているので嬉しい限りです。現役時代のレッドのまま保存されているのはここ梅小路だけではないでしょうか?懐かしさがこみ上げてきますね。
こうして梅小路を満喫して今回の遠征旅行を締めくくりました。
※2013年7月30日訪問