ブログ2つめ。
今回は本題だけ書きます。


今年はトリガーになる感じなので、個人的には一次産業に近い職業や、純粋に物を売る力が強い人達が力を持ち始める感じになるかと。


具体的に言えば、
住居を作れる人、水があふれる土地を持っている人、できるだけ低肥料低負担で作物を育てられる技術を持つ人、木材金属加工が出来て物を生み出せる人、風力や水力発電などの仕組みを作れる人。薬を使わず人を癒せる人、猟や漁が出来る人。銃を撃てる人。
そして、純然に物を売れる交渉・セールス能力がある人。人をまとめられるカリスマがある人。

簡単にいえば、原初的なコミュニティで力を発揮する知識や技術を持つ人。
これらを自力でできる人が力を持ち始めて、逆に「口先や言葉」や「書類」など、「権威やシステム」が前提でしか金を稼げない人の力が前よりも微妙になり、環境含めて真剣に考えないと、楽しくないことになりそうです。


あくまでトリガーなのであんまり大きく分かる感じの年じゃないけど、今年中にそういった職業に就かれて技術を持つのはかなりのアドバンテージになると思います。


あと、都会ではなく田舎の土地や資源もキーワード。
そして横のコミュニティ形成してる地域のほうが強くなるでしょうね。
都会の縦割りシステムは、ちょっと古いというかアレだと感じました。


正直、今農業されてるかたは有利だと感じます。
書類ではトマトは育たないので。



自分も今年はできる限り、上記の分野で働くことができたらと考えてたりしてます。
まぁ全くコネがないのでまるで手がかりがない状態ですがwww



あくまで自分の感じる範囲の話ですが、
基本的にはできるだけ、外部頼みにならず、自己完結できる循環システムを生み出せる人が有利な方向性かな。(もしも、このままの流れが続くならば、3年、5年すると歴然とした差になりそうです)


おお、こyこy



※追記

書き忘れていた大切なことがが…w

第三次的な職の全滅は当然無いと思います。

「物語」や「歌」の立ち位置は、昔のわらべ唄や伝承、かつてのそういったポジションに収まるのではないかと。

「世界No1の歌手」から「村一番の歌姫」とか、「国民的アイドル」から「この村のみんなのアイドル」とかにシフトチェンジして、世界ランキングに血眼をあげるという流れは、緩やかに自然な方向にシフトする感じがします


基本的な第一次職の上に、情緒的な文化が直接乗っかるようなイメージ図?

「人はパンのみにて生くるにあらず」と「でも、パンがないと実際には困るよね」がうまくバランスするんじゃないかな。
ただ、その合間にある「よく考えると本来不必要で不自然なもの(無駄な法律や権利やそれに付随する無駄の極みの搾取体制)」は古くなり減少していく気がします。


基本的な生活の職+情緒を司る職な感じ?


















今年の抱負を書こうかと思ったのですが、まだちょっとピンと来ていないので別の内容をばw

あけましておめでとうございます。

ということで、Twitterなどネット上の付き合いで、物理的にはつながっていない人とは食べに行く事もできないので、そのかわりと言ってはアレですが、何か役立ちそうなこと書いてみます。
精神的なお年玉になれば幸いです。



■感覚で行う判断基準について ~新しい・未知の知識編に対してはどう反応するべきか?~

以前のこちらの日記のQ7 などでも物事を判断するメソッドの1つを書いていますが、


物事の判断というのは大変なものです。
それと同じラインで重要になってくるのが
「新しい物事の知識や未知の分野の知識、または眉唾ものの知識に関してのスタンス」はどうすればいいのか?
これも生きていく上ではとても大切な事柄になります。

あたり前のことですが、人は専門分野意外は素人ですし、全ての知識を覚えるというのは不可能です。
けれど素人や門外漢だからといって議論に参加できないのはおかしな話ですし、たとえ素人でも物事を判断しなければいけないケースはよく起こります。

そこで今回は自分の場合はどうやっていつも判断しているのかというのを書いてみたいと思います。

ピンと来るかもしれないし、来ないかもしれない方法ですが、ヒントになったりしたら幸いです(^^)



※例によってちょっと感覚的な部分もありますので、苦手な方はブラウザバック推奨です。



1:自分的、感覚での判断基準

自分がニュースや書物などに触れる時に気をつけることは、基本的に自我で判断しないやり方です。
波1つ無い湖畔の水面のように、もしくは俯瞰視で他人事のように、ある意味では読み取り装置がCDデータを読み取るかのように、ほとんど自我を入れず客観的でフラットなメンタル状態を意識して情報を読みます。
その時、ふと心に「あ…なるほど」とストンと腑に落ちたら「YES」「ありうるかも」の方向で考えます。

こういった知識への反応を「ちょっと常識外な出来事や知識」にも取り入れているのもミソかもしれません。

自分的には「あくまで証明されてわかる範囲でしかわからないんだから、未知のものもあっても仕方ないよね。そもそも赤外線や電気だって以前は測定できず、認知されないものだったんだから。 測定できない=無い って考えるのは無理があるよね」

大抵こんなメンタリティで物事を捉えています。

こうした柔軟性のある物の見方をすることで、世間が騒ぎ出すはるか前に本物を見つけたりできたりします。便利便利。


「んーよくわからんけど、この人本物だわぁ」
「正直さっぱりわからんが、なんかこれはあるっぽいな…」
  ↑
ほんとこんな感じのいい加減な感覚なんですけど、慣れてくると結構当たるんですよね…w


2:ピンとこなかった時
それを読んでも、何も反応がない時は判断を保留します。
この時には2種類の方向性で考えます。

つまり
A:今の自分の知識や経験、レベル、体感などが基準値に満ちていないため判断できない状態かもしれない。(下の階に住んでいる者は、上の階の景色はわからない)

ある時ピンと来るかもしれないので、とりあえず保留として記憶にとどめておく。

B:その情報自体が嘘の可能性。
0に何をかけても0のように、最初から空虚な情報(誤情報、ノイズ、ジャンクデータ)なので、心的なフィードバックが来るわけがない可能性。

こんなかんじに捉えます。


3:いやーな感じがした時 
いやーな感じや抵抗感がある時は、基本的に今のあなたに不必要な情報である可能性が高いです。
ただ、警告やシグナル的な事もあるので一応軽く意識しておくことは有りかも。

あとは、そのいやーな感じが自分のエゴ、今までの情報から来る思い込みから来てないか判断するのは必要かも?

①思い込みをチェック
特に「これは常識的にこうなんだから、そんなことあるわけがない!」という思い込みは厄介で、百害あって一利なしです。

この思い込みは、けっこう破るのが大変です。

そういう時は私個人としては
「でも、昔の栄養学では肉やバナナ食ってればいいとか言われてみんな信じてたし。結局その時その場の最新情報でしか判断してないだけで、今の情報だっていずれ時間が経てば時代遅れの失笑モノの情報になる可能性があるわけじゃん。
だからそれに固執する必要はないよね」

とか

「あくまでそれは今この時において証明されたものの範囲内だよねー。そんなことよりも実際に役立つなら出どころがどこでもいいじゃん別に」
  ↑
こんなスタンスにします。

自分の人生に自信がある方や成果を上げた方は油断すると、意外に思い込みの世界に囚われることがあり、いわゆる「硬い思考」になる方もいます。

同軸のパターンとして「全ての事象を自分の辞書に載っている言葉に翻訳して理解しようとする人」もいます。
これもあんまりよくない思考で、度が過ぎると、新しく優れていて本物な物事があっても受け入れ難くなります。


②人に対して嫌な感じ
割と大事ですので、好き嫌いして下さいw
相手は鏡ですので、嫌な人が良い事象や知識を持ってくることは稀有です。
仕事上などでお付き合いがある場合は、敬意は払っても最低限の接触で抑えるのも有りかと。

ポイントとしては自我的な好き嫌いではなく、気配的な合う合わないで、見るほうがいいかも?
「なんかあいつチョーむかつくよねー」のような上っ面のメッキのような感情の好き嫌いとは違うのがポイントです。



やや助長ぽかったので割愛w
でも消すのはもったいないので線だけひいたw

うーむ、だんだん書いててわかりにくくなりましたね…><
段取り悪すぎ、もうだめぽ…。


■まとめ

とりあえず、どんな知識や考え方でも、ふっと「あ、ありうるかも」みたいな感じが浮かんだら、参考になる所だけ取り入れればいいのではないでしょうか。
自分の思い込みに固執して、せっかくの美味しいネタを自分のものに出来ないのもなんかもったいないですしねw
自分が「ありうるかも」と少しでも感じてしまったなら、真っ向否定せずとりあえずは記憶にとどめておけばいいんじゃないでしょうか。

逆に全くピンと来なかったら固執する必要はありません。
それがたとえ大権威からの言葉でもです。

もちろん、ちょっと頭のおかしな人の思いつきの言動である可能性もありますので、あくまで全部受け入れるのではなく、ちゃんとしたフラットな感覚で、良い物は良い、微妙なものはどうでもいいのでポイ。
みたいな良いとこどりなスタンスは大事に思えます。




なんだよオイ、このまとめだけで充分じゃないか…。
今までの説明はなんだったんだ…


上でも書いた 以前のこちらの日記のQ7 と合わせて感じると精度がより上がるかもです。


うーむ、相変わらず泣きたくなるほど言葉が下手ですが、感覚を文字化するのは本当に難儀なのでご容赦下さい><;


今年も残る所、あと三時間弱になってしまいましたね。

年末にかけては色々なことが怒涛の勢いで迫ってきた年になりましたが、今年は多くのことを感じ、考える年になりました。

来年はそれらを踏まえ、後悔の無い行動ができたらと考えております。


ふと思い立って書いただけの日記なので特にオチはありませんw


それでは皆様、、良いお年を(^^)ノ



iPhoneからの投稿
※今回は以前の日記の焼き直しになります。
 ちょっと今でも面白い内容でしたので、書き換えて再掲載ですw


今回の内容は主にニコニコの投稿者や、もの作りしてる人への内容になっています。




今回の主な内容はニコニコなどでよくある「批判や批評」についてです。


よくニコニコなどでは批判コメや批評コメなどありますが、これについて、もの作りの立場から意見を言いますと、正直に言って批判などはあまり見ない方がいいと感じています。
とはいえ、その言葉だけでは全く説明がなされてないのでわかりにくいだろうから補足します!w


まず、人間の基本的な心の仕組みになりますが、人間は自分で思うほど精神はタフではなく、100の称賛も1の悪意あることばで崩れてしまいます。

それほどまでに人の心というものは打たれ弱く繊細にできていますし、元々がそういう仕組で作られています。
これはニコニコに投稿された人ならば、みなさん誰でも身におぼえがある事ですねw

そして、巷でよくある考え方の
「批判を受け止めないと成長はできない」
 というものの考え方ですが、私個人の経験上でいえば、あまりよいことではないように思えます。

理由その1:
批判されても、原則その人は行動を改めません。
それどころか、親しい人からの善意から来る忠告ですら、言われた側は恨んだりそれが原因で敬遠したり、疎遠になったりすることすらあります。
忠告など正直言う側だって辛くて言いたくありません。おまけに言われた側も不快になるって、それどんなバツゲーム?って感じです。


理由その2:
思いやりがあり、親切心から来た行動ですらこういうすれ違いの悲しい結果を生む可能性がとても高い行為です。
ですので、ましてや、悪意があったり、的外れだったり、他人事のように浴びせつけられるニコニコ界での批評などは、正直、百害あって一利なしです。
そもそも、匿名でいきなり汚い言葉やキツイ言葉、誹謗中傷をするとかなんて、どう考えても悪意以外感じられませんし、その中には思いやりや誠意、誠実などは無いように思えます。


批判とは原則、その人の気付きを刺激できるかもしれないが、そのリスクは大きく、言う側も言われた側もあまりいい気分ではない。
そして、言われた側は、その言葉で落ち込む確率は非常に高いが、反面、行動を改める確率は低い。

それに加えて悪意ある言葉はその人の精神を根本から叩き折る危険性すらある。


批判の中にはこういった危険性が潜んでいるということを覚えておくと安全かもしれません。


わかりやすい事例として、ニコニコの有名歌い手さんたちの言動をよく見て下さい。
ファン一人一人にガチで挑み向き合う人なんてほとんどいませんよね?
あくまで不特定大多数に発信する広くて無難な意見と飄々とした態度。
そういう形に殆どの人が落ち着くのは、こういった心の葛藤や壁を乗り越えてきてるからです。
(一人一人の意見にガチで相手をしているとキリがないし身と心がもたない。 それぞれに考えがあるし、それは正否関係なくなかなか変えられない。 全員の意見を◯にするなんて無理! どんなに良い物を上げても批判する人間は必ず現れる! ってことを嫌というほど経験するから。
私も僭越ながら以前は歌い手さんのミキサーとして、マイリス一桁の無名時代から、マイリス4桁上等になるまで何人もサポートをした経験上、こういった人たちの精神の変容は沢山見てきました)


「でも、中には批判をすべて受け止め成長している人もいる!」
 という方もいますが、私はそれに関しては、
「ごく短い期間での修練として考えるなら有効な時もある」
 と考えています。


先ほどいった通り、人間は本来、あまりタフには作られていません。
特に心に関しては物凄く繊細で、普通の人が思う以上に壊れやすく、歪みやすいガラスのようなものなのです。
人は批判を受け続けると、素直な人ならしばらくはそれをなおそうと努力します。ですが、その批判の量と時間が長く続くと、その人個人のキャパをやがて超え始めます。

そうするとどうなるのか?

感覚が麻痺してきます

それは批判を受け入れたのでも、乗り越えたのでもなく、単に心を凍りつかせ、硬直させ、なにも感じないように麻痺した状態になっているだけの、いわゆる人間としてあまり好ましくない状態になってしまうのです。
ちなみにこの感覚は、本人ではあまり自覚できません。

そんな麻痺精神状態が続くと、どう考えてもあまり良さ気な結果は出なさそう…。
まさにその通りだと思います><



例えば、第一線で活躍して人目に触れる機会が多い人、政治家やスポーツマン、アイドルなどお金や権力、名声がある人の中には、他人の批判をものともしない「一見してタフに見える人」もいます。
でも、そうした人でもよくよく繊細に言動を調べてみると、どこかで麻痺していて言動がズレていたり、感覚がおかしかったり、無神経で無遠慮だったり、または異様に排他的で傲慢だったりするものです。
これは先に述べた心の硬直が進み、自分と他人に、「壁」と言う名の結界線を作ってしまった結果です。

※まぁこれはファンやアンチからの苛烈な攻撃が元でそうなるってのもあるのですが…w
有名になるって結構リスクあるんですよね…。


また、仮に他人の言動を全てを受け入れ消化ができる信じられないような超人がいたとしても、それに費やすエネルギーと努力は膨大なものです。
「そんな膨大なエネルギーがあるのなら、最初から批判などに耳を傾けず、それを創作に直接費やした方がよりいいパフォーマンスが生まれて効率がいいし、わざわざ不快な気分にならなくて済んだんじゃない?」 私ならこう思います。



しかし、ここまで読まれた方でしたら
「しかし、そういった批判を聞かない方向にばかり行ったら、ひとりよがりになったり、ただの安易な道だけを選ぶ弱い人間になったり、ただの快楽主義者に堕落してしまうのではないか?」

といった、不安や疑問が浮かぶと思います。
いやぁ大丈夫なんじゃないですかねぇ。


どうせ勘違いしている人は長続きしないし、どこかで身を持ち崩しますよ。
それよりは、真面目で素敵な人が、くだらない中傷コメントで傷つき、作品を投稿するのをやめてしまうほうがもっともったいないです。




とまぁそんな話を以前は相方のぼんちさんとニコ生でしていましたw

ニコニコのコミュニティ→ ウィンボンのふるもん雑談




※おおお、下記忘れてた追記!

今回の批判についてですが、あくまで人を放置しろと言っているわけではなりません。

良い方向に持って行くならば「批判」というよりは「提案」や、お互いに良い方向へと向かおうとする「議論」にするならばバリバリOKだと思います。
それはお互いに向上しようとする行為ですし。

それと、お互いへの敬意や誠意があふれている事が重要だと思います。

よくある若いママさんの失敗「子供をしつけるために怒るのではなく、自分が腹が立っているから腹いせに怒鳴りつける」というやり方が駄目なように。
内実というか、向き合う心の態度がとても重要になってくると思います。

こうした人に囲まれた討論や議論はとても前向きで、良い結果をどんどん出していくのではないでしょうか。


怒りをぶつけたいだけなのか、傷つけたいのか、向上したいのか、割り切りたいのか、諭したいのか、など、こういった前提の感情面は見えない部分ながら大きな要素を占めているように思えます。



んーまだ書き足りない部分が沢山あるような気がしますが、こんなところでw
とある要件でこういった選択の話を文章にする機会がありましたので、せっかくだから、少し内容を組み替えてシェアということで日記にも書きますw


人生は常に判断しなきゃいけないケースが多かったりします。
しかしそれはアドベンチャーゲームのように、わかりやすい選択肢がシュピーンと眼前に浮かぶわけではありません。
後になって「あぁあの時がそうだったのか!」と転換期がわかり、選択肢の失敗に嘆き、悔しくなることもよくあります。


ということで、今回はそんな選択時の判断基準のヒントということで書いてみたいと思います。
※幾分、感覚寄りな話ですので、苦手な方はブラウザバック推奨です。




さて、チャンスや転機ですが。
これってよくわかりません。
後になってわかることが多いので、ホント困ります><

ですが、せめて大きな後悔は残したくないもの。
ということで、できるだけ心労にならずうまく行きやすい考え方を書いてみます。


Q1:「これをやりたい!」と思った時「今が変わり時かな?」と思った時ってどうなの?

A:そう感じることは良い時かもしれません。
その時にチェックしてもらいたいのは、理屈が頭に浮かぶ前に「あ、やらなきゃ…」みたいな、ふっと心に浮かんだ感触や理屈抜きの使命感や衝動に突き動かされるようでしたら(人を傷つけるなどの侵害行為を除いて)やる方がいいかもです。

よくはわかりませんが、今までの経験上だとそういった時には何らかの必然性・必要性があるもので、後になって「あぁ、あの時の衝動で手に入れた技術は、この職業で生きているんだ…」などとわかることもよくあります。

自分の生命や貞操の危機が起こらない範囲で、他人を傷つけたり侵害したりするものでなければ、わくわくするようだったり、何かに背中を押されるような感じだったり、動きたくて仕方ない感じでしたら、とりあえずチャレンジするのが良いのではないでしょうか。



Q2:でも「やりたい」というよりは「やらなきゃ…」という焦燥感に近い場合はどうなの?

A:これの場合は少し勝手が違う時があります。
今までおざなりにしていた締め切りや約束事、見なければいけないものを意図的に見ないようにしていた場合にも、起こりえます。
この場合は1のように、そのことを考えるとわくわくするよりはドンヨリする感じが特徴?
心労が積りなんとなく重くなる感覚です。

こういったケースには、時が過ぎればなんとなく霧散して解消する場合もあれば、ある時、催促がドバーッと来る感じで現実が一気に押し寄せてくるケースもあります。

この場合だとめげる時もありますが、逆に変化のタイミングだ。と、捉えるのもアリで、意外にその時の思い切りが良いはずみになることも。
しかし、そのままめげたら、失速してしばらくの時間どんよりすることもあります…w
そういう時もあるよね。仕方ないね。



Q3:じゃあ他人からのアドバイスで考え方を決めるってどうなの?

A:んーどうでしょうね。
個人的にはあくまで参考程度に留めておく事をオススメします。
少なくとも他人からのアドバイスを、選択の決定打にするのはあまりオススメはできません。

理由は簡単で、
A:そのアドバイザーがその道のメンタークラスかどうかわからない。

B:メンタークラスでない人の意見ならば、あなたとほとんど変わらない判断能力しか無いので役に立たない。

C:そもそもあなたの人生をあなた以上に親身になって考えてくれる人は基本的には少ないので、いい加減なことをその場のノリで言われている可能性も高い。

D:人の意見で決めたら、万一失敗した場合。その人を恨んでしまうし、自分を情けなく思ってしまう。それは精神衛生上とても良くないし、感情の切り替えがしにくい。

E:どうせ自分の人生なら、自分で主導権を決めたいじゃない。失敗しても自己責任で後悔が残らないし。

簡単に云うとこんな感じで、あくまで参考程度に留めておくのが寛容かもです。
「意見は聞くが決定権は自分でもて!」ですね。


Q4:じゃあ外部の圧力的(環境的)なもので選択を迫られた場合はどうなの? 例えば左遷とか。

A:んーこれもケースバイケースとしか。
基本的には「転機」と考えてもいいんじゃないでしょうかね。
ただしそれは、会社に居残るなら新しい地を見る機会ですし、辞めるなら別の世界を見る機会であって、どっちでもいいような気がします。
自分ではどうにもならない外圧の場合は、「流れに身を任す」か、「流れから出ちゃう」かが重要ポイント。

逆にやってはいけないのは「やる気がないのに嫌々左遷場所に行く」とかこういうのはまるでうまくいく気がしません。
(自分が主体になっていない)



Q5:なんかよくわからんけど、あくまで自分主体でいればいいってこと?

A:その方が少なくとも後悔しませんよね。



Q6:虫の知らせとかってどうよ?

A:割とあると思います。
最近は脳生理学の人も割と「人の勘」とかそういう事、話し始めてますよね。(茂木さんとか)

私はよく「シグナル」と呼んでいますが、物事はある時いきなり起こるのではなく、それまでに水面下で満ちていたものが一定の許容量を超える時に噴出するように起こる。という概念で考えています。
精神的なことが苦手な人ならば、近い概念で「ハインリッヒの法則」としてなら、理解も馴染みやすくなるのではないでしょうか。


例えば、誰かが大怪我する時の前に、ちょっとした軽微な怪我や不調、疲労を訴えていた。
あなたは心配だったが、当人は「大丈夫大丈夫」と言ってたので放置したら、後で大怪我や事故をした。
こんな話、ありすぎますよね。

中にはこういった嫌な前兆を見極めるのがうまい人もいます。


シグナルはもちろん良い方向にもありますので、そういった軽微なシグナルを感じ取り、なんとなくの方向性を決めるのはアリだと思います。


Q7:いい方法教えてくだちい

A:これについては、2011年の11月や他の日記でも何度も書いてますが、この方法が役立つかもですねw
※以下抜粋

人の悪意とかに敏感になる方法&直感の磨き方。何か他人に言われ誘われた時や意思決定の時に、僕はその瞬間に「その人が何を言ったか」「その話を聞いた瞬間に心の奥からはどんな感情が湧いたか?」「その後に理性ではどんな判断を下したか?」の最低三つを覚えてる。

そして、それを覚えて置いて「実際の結果」と照合させる。これを何百、何千とやってるから勘の精度が鋭くなってゆく。例えば「あぁ、この人なんか嫌な感じがするなぁ。でもうまい話だから乗るかぁ」と、最初の直感は嫌な感じがしながらもそろばん弾いて理性で判断して失敗したら。それを次回に生かす。

こうして何度も何度も答え合わせをしていくと、その内やばいパターンが見た瞬間にある程度わかるようになる。 個人的には理性が働き出すはるか先の、物事をみた瞬間に刹那心から湧き上がる直感を拾うのが一番精度高い感じ。でも、これは慣れないといつ湧き上がったかすら自覚できない刹那の囁き。



これは対人だけでなく、普段の選択や物事にも役立つやり方なので、軽く覚えておくと便利かもです><b


Q8:他にも補足とかありますか><

A:常にTPOによって最善は変わるという考え方をしていくといいかもですね。
学校の教育のように公式を覚えればいいのでも、知識をコレクトすればいいのでもなく、無数のパターンを経験することにより基本的な判断力を養うことが感性上昇の糸口となる感じもします。
「これはこうだからこうだ」という機械的な判断が好きな人だとこうした概念やセンスはなかなかわかりにくいところがあるやもしれません。



では、こんなところで。

ごく一部の人にでも参考になれば幸いです></