こんな話を聞きました。
ある道場に通っていた女性が、先生にかけられた技が痛くて泣いてしまい、やめてしまったそうです。先生としては「痛みも稽古のうち」のつもりだったでしょう。
でも、彼女は「戦いの技を学ぶ意味がわからない」という事で悩んでいたそうなのです。
「そんなの強くなるために決まってんじゃん!」
そうそう、そうなんですよ。
でも「戦いの技を学ぶ意味がわからない」
この一見馬鹿げた疑問は実は哲学的で凄く深い意味があると私は考えます。
これをたどると 「そもそも戦いとは何なのか」「誰と戦うつもりなのか」
戦なら戦う相手によって戦術も戦法も変わってきますが、誰と戦うのかも分からず無闇に技を学んでも無意味、という事になってしまいます。
一般的な暴力を振るってくる人間相手なら、大体攻撃パターンは限定されてきますので、護身術はokではないでしょうか。
武術ですと刀や槍などの相手を想定しているでしょう。
格闘技ですと同じ競技、同じルールの中での模索になります。
話を戻すと、
普通に暮らす人々がそこにはいるのです。
一人ひとり、みんな様々な理由を持って道場に来ています。
よくコミニュケーションをとり、洞察し、その人が何を求めて来ているのかを感じ取れたら。
根本は「一緒に成長していこう」という事だと思います。
技だけ教える道場ならいくらでもある。
強い人が偉い。戦いに強い人が心も強いと捉えて尊敬の対象になる。
しかし一般人の私に言わせれば、
それは暴力が強いだけの話であって
心や人格とは全く関係がない。
「心も磨く」という謙虚さがなければ
単に弱い人を小馬鹿にしたり
他人を批判ばかりする人間になってしまいます。
では「心」とは何なのか。それは
「護る」
という概念だと思うのです。
自分も守り、大事な人を護る。
剣護身術は、そんな人間的な成長も含めた
「護り人」を育てようとしています。
私にはそんな風にみえるし、
そうしていきたいですね。