第18回全国EM技術交流会東北大会in七ヶ浜事例集より
http://www.ecopure.info/topics/topics_094.html
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十三浜ワカメ復活に活躍したEM団子
震災後、すぐに息子の友人と共に福島の子ども施設に物資を届け、その後、本業である歯科診療を100%自己責任で行うと決めて、歯科医師、衛生士、技工士の仲村歯科チームで気仙沼と石巻に通った。入れ歯の調整のために再度北上町を訪れた時に漁業協同組合の佐藤清吾さんの話を伺った。津波の被害や、十三浜の現状などの説明を聞いて、佐藤さんが海と十三浜を心から愛している姿に感動して、以後、石巻十三浜地区の復興支援を続ける。
復興への応援を込めた支援を十三浜に届ける方法として、1口5,000円のわかめサポーターを募集。
集まった資金でわかめ養殖の準備をし、翌年養殖に成功したらわかめを届けるという内容で、全国からたくさんの支援を受けることができた。しかし、心配は放射能汚染のことで、もしわかめに放射能が検出されたら善意を無駄にすると夜も眠れなかった。しかし、自分が日常的につかっているEMが放射能除染の助けになると聞き、EM研究所に問い合わせをしたところ、EMのボランティアの方々が支援してくださることになり、わかめが収穫できることを確信した。
わかめは順調に育ち、例年にない高品質で価格は2倍以上で取引された。収穫時、浜を訪れた際、釜の湯気の向こうに見えた浜の方々の輝く笑顔は今でも心に残っている。心配した放射能も不検出だった。震災という非常時に「EMの神様」から頂いたご縁は、大切な宝だと感じている。これからもことあるごとに十三浜に通い、何かお役に立つことをしていきたい。
宮城県漁業協同組合
十三浜は宮城県石巻市北上町の沿岸部で追波(おっぱ)湾に面した地域。その名の通り、十三の海浜集落が点在し、先祖伝来の地に仲睦まじく暮らしてきた歴史のある集落だったが、震災はその地域共同体の有様を覆すほどの契機を作った。ためらいもなくこの土地を捨てる開祖の家まで現れ、今回の震災の大きさも、その後の被災者の行動もまったく想定外のレベルだと感じる。震災前のわかめ養殖業者数は約100人。養殖筏は3,500本だったが、震災後は約3,000本に減少した。
被災から3か月後に十三浜の漁業の復興に全霊で打ち込んでくれた仲村医師夫妻が、わかめ復活支援金を集めてくれたのがきっかけで、EMに出会った。私個人としては、漁場のガレキ処理から新たな養殖筏の敷設で、さまざまな問題があり、EMの功能を完全に理解するまでではなかったが、仲村さん夫妻が推奨するものであるならば、やる価値はあるということになり、実行することを決めた。漁場の造成に出ている男に代わり、婦人部によるEM団子つくりを開始。種不足と筏の資材不足から、震災前の7割のわかめの種の鋏み込み作業が終了したのは大晦日だった。震災の年に一円の収入もなく、翌年も無収入になることは絶対に避けたかったが、これほどまでに種まきが遅れるとわかめは無収入になるだろうと覚悟していた。
ところが、漁場に3回にわたりEM団子とEM活性液を投入した結果、春からの刈り取りまでにわかめは急激に成長し、通常は2mのところ、3mまで伸びるという今までにない豊作となった。私たち漁民は、EMについてはまったく経験がなく、比較する過去のデータを持ち合わせていない。しかし、あの未曾有の災害時に「溺れるものは藁でもつかむ」の心情のところに手を差し伸べてくれた関係者に心よりお礼を申し上げたい。確かに私たちの経験と想像を超えた成果があったこと、また、EMを使った年は7割の種付けながら在庫が払低した関係から、相場が例年の2倍を超える価格で取引され、被災漁民の生計再建に大きな力を与えられたことに感謝したい。
比嘉教授講評
釜石市で、10年前EMを流すことでわかめが巨大化する経験がある。海の浄化活動でいえば、瀬戸内海、有明海、三河湾 伊勢湾さらには、東京湾の実績がある。ことに東京湾には、9年間にわたり毎週4tのEM活性液が流されており、東京湾の海底は巨大なサンゴ が生息して海のジャングルとなっている。EMは、光合成に偉力を発揮して、海をきれいにし、海産物のできもよいことは経験済み。継続してEMを活用してほしい。