世界的なヒーロー 東郷平八郎元帥についての考察です。
東郷元帥(1848年~1934年)は
薩摩出身の海軍軍人で
各地に東郷神社が建立されており
我が国のみならず
世界的に有名な方です。
初陣は14歳の時で薩英戦争に従軍しています。
世界最強のイギリス海軍を相手に
2日間にわたる戦闘をして
結果は幕府仲裁による引き分けです。
6年後の戊辰戦争では
箱館戦争、宮古湾海戦で戦っています。
大政奉還後
海軍士官として
23歳から7年間
イギリスに国費留学しますが
帰国の1年前に
西郷隆盛が西南戦争を起こしており
帰国が1年早ければ
当然、西郷側に付いて戦っていたと思われるので
天下の名将がこの時点で
無名のまま亡くなっていた可能性もありました。
天上界からの加護があったと思います。
1894年の日清戦争では
「浪速」艦長を務め、豊島沖海戦、威海衛海戦で活躍し
少将に進級し、常備艦隊司令官となります。
日露開戦前の緊迫した時期(1903年)
海軍大臣の山本権兵衛から
常備艦隊司令長官に任命され
連合艦隊が編成されると
第一艦隊兼連合艦隊司令長官に任命されます。
明治天皇に理由を聞かれた山本大臣は
「東郷は運のいい男ですから」と奏したと言われており
上層部は東郷元帥の運の良さに気づいていたようです。
そして
1904年2月8日~1905年9月5日にかけて
大日本帝国とロシア帝国との間で日露戦争が行われます。
東郷元帥は
旗艦「三笠」に座乗して
ロシア海軍太平洋艦隊の基地である旅順港の攻撃
黄海海戦をはじめとする海軍の作戦全般を指揮します。
1905年5月27日
ロシアのバルチック艦隊との間で
日本海海戦が行われ
戦況は30分で勝負がつき
ほぼパーフェクトゲームで
日本の危機を救っています。
バルチック艦隊を迎撃するに際し
「皇国の興廃この一戦にあり
各員一層奮励努力せよ」と全軍の士気を鼓舞し
本人は甲板に立って微動だにせず
その場所だけは床が濡れていなかったという逸話がありますが
事実だったと思います。(東郷元帥の肉声がインターネットにあります)
戦法としては
敵前で大回頭を行うというT字戦法で
リスクを承知の上
敵の砲門数を上回る態勢にして
相手を殲滅する戦法です。
戦勝祝賀会を東京で行うことになり
東京湾に停泊していた「オハイオ」も招待を受け
37歳年下のニミッツ(当時20歳)は
東郷元帥と会話したようで
気さくで流暢なブリティッシュ英語を喋る元帥に
感銘を受け敬愛するようになりました。
このため
第二次世界大戦後
「三笠」が荒れ果てて
ダンスホールに使われている事を知って激怒し
現在のように復元されたのは
ニミッツ提督のおかげです。
また、
ニミッツ提督の生誕地テキサス州に建設されている
「ニミッツ提督州立歴史公園」には
日本庭園と共に
東郷元帥の肖像画や東郷・ニミッツ会見像が展示されています。
当時、白人至上主義の中
日英同盟(1902~1923)による
英国の対日協力も日露戦争の勝因の一つですが
有色人種が白人より劣っていないことを
全世界に証明したことは
その後の世界史の流れを大きく変えた
世界的大事件であり
我々日本人がその重要さを
もっと認識してもよいのではないかと思います。
同時に
この戦勝で慢心したため
大東亜戦争で大した戦略もなく
ルーズベルトにはめられて
戦争に突入して敗戦したことは
悔やまれ点ではあります。
成功の慢心が失敗の原因になるという
人生全般にわたる教訓として
自分自身も戒めています。
世界的に尊敬されている
軍神・東郷元帥に対する
我が国の評価は
あまりにも低すぎるように感じています。
戦争を礼賛するつもりはありませんが
当時の軍人は
語学も堪能で教養もあり
世間から尊敬されていた人物が多いです。
国防に従事している人への尊敬は
世界標準なので
日本での評価が修正されることを
心から祈念しています。