空海聖人(774年~835年)の超人的人生についての考察です。
空海聖人は四国香川県の生まれですが
自分の生まれた川崎には
川崎大師があります。
正式名称は金剛山金乗院平間寺で
真言宗の弘法大師(空海聖人)を本尊としており
幼少時からお大師さんの名称で親しんでおり
大晦日は言うに及ばす
事あるごとに両親に連れられて参拝していました。
空海聖人の偉大さは
幼少時から聞いていましたが
自分で調べるようになって
その超人的凄さに
尊敬とともに心底憧れるようになったのを覚えています。
川崎大師の歴史ですが
崇徳天皇の御代に平間兼乗(ひらまかねのり)という
仏法に深く帰依していた武士がいて
弘法大師を尊崇していました。
ある夜、ひとりの高僧が兼乗の夢まくらに立ち
「我むかし唐に在りしころ、わが像を刻み海上に放ちしことあり。
以来未(いま)だ有縁の人を得ず。
いま、汝速かに網しこれを供養し
功徳を諸人に及ぼさば
汝が災厄変じて福徳となり、諸願もまた満足すべし」
と告げられ
兼乗は海に出て、光り輝いている場所に網を投じると
一躰の木像が引き揚げられ
それがお告げの通り、大師の尊いお像というで
兼乗は随喜してこのお像を浄め
朝夕香花を捧げ供養を怠りませんでした。
そこに、高野山の尊賢上人が兼乗のもとに立ち寄られ
尊いお像と、これにまつわる霊験奇瑞に感泣し
大治3年(1128)に建立したのが川崎大師です。
空海聖人は
15歳で母方の叔父から論語、孝経、史伝、文章などを学び
18歳で京の大学寮に入りましたが、1年で退学し独学で山林修行に入ります。
当時の大学は官僚養成機関で、
今でいえば東大法学部に相当すると思われます。
入学1年で新たに学ぶべきことがないことを悟り
独学で大乗仏教における密教経典の『大日経』や中国語も勉強します。
また
この時期に「虚空蔵求聞持法」を授かっています。
この修法は、真言を百日間かけて百万回唱えるもので
これを会得した者は
あらゆる経典を記憶し、理解して忘れなくなります。
現代では英単語を何万語も記憶できるもので
空海聖人は中国語習得にも活かしたものと思います。
そして
室戸岬の御厨人窟で修行をしているとき
口に明星が飛び込んできた神秘体験をし
洞窟の中で目にしたのが空と海だったため
空海と名乗るようになります。
804年30歳で入唐求法します。
聖人の乗った船は途中で嵐にあい航路を逸れて漂着したため、
海賊の嫌疑をかけられ、約50日間待機させられますが
長安入京留学の嘆願書を提出し、
理路整然とした文章と優れた筆跡により遣唐使と認められ
翌年5月
密教の第七祖唐長安青龍寺の恵果和尚を訪ね
約半年にわたって師事することになります。
この時、恵果和尚は
聖人がすでに過酷な修行を十分積んでいたことを見抜き
密教の第八祖として伝承することを決めたようで
即座に密教の奥義伝授を開始します。
わずか3か月後には
伝法阿闍梨位の灌頂を受け
遍照金剛(この世の一切を遍く照らす最上の者)の灌頂名を与えられます。
同年12月
恵果和尚は60歳で入寂しておりますので
お二人の出会いは
法灯を引き継ぐ者同士の劇的な出会いだったと思います。
法灯を引き継いだ翌年3月に長安を出発し
4月から4か月ほど越州に滞在した期間で
土木技術や薬学等多分野の知識を習得し
20年の留学予定を2年に短縮して
8月に明州を出航し10月に帰国します。
空海聖人のこの驚異的な習得は
現代的に解釈すると
東大法学部を1年で退学した後
独学でいろいろな学問を渉猟し
アメリカに留学して渡米するも
税関で拘留され
ネイティブが感嘆する文章を直筆で書き
その後
ハーバード大学を首席で卒業するだけでなく
教授資格まで与えられたことに相当すると思います。
しかも、その後、僅か4か月で
マサチューセッツ工科大学の全カリキュラムを
習得してしまうという
通常の人間では考えられないような
業績に匹敵すると思います。
帰国後は
810年
法力を用いて鎮護国家のための大祈祷を行い
薬子の変を治めます。
同年
イナゴが大発生したため
害虫駆除の修法を行い
野山を埋め尽くすイナゴを一夜にして消しています。
821年
アーチ型堤防など当時の最新工法を駆使して
満濃池の改修を指導します。
824年
日照りが続いたこの時
全国各地で雨乞いが行われましたが全く効果がなく
聖人が真言を唱えると、激しい雨が降り出して干ばつが解消しています。
828年
儒教・仏教・道教などを教える総合教育機関として
一般の民衆に門戸を開いた
私立大学の綜芸種智院を開設します。
835年
享年62歳 高野山金剛峯寺にて3月21日に逝去しますが
四十九日を過ぎても容色に変化がなく髪や髭が伸び続けていたようで
衆生救済を目的として永遠の禅定に入ったと考えられており
入定から現在まで
約1200年もの間
奥之院の仕侍僧が
1日2回、御廟の空海聖人に
衣服と食事を届ける儀式が続けられています。
また嵯峨天皇が
密教における「即身成仏」の証を見せよと迫った時
聖人が印を結び真言を唱えると
その肌は黄金に輝きだし、
宝冠を戴いた頭からは白い光を放ち始めたと言われています。
その姿はまさに、大日如来のようだったそうです。
空海聖人は日本が誇る
万能の天才だと思います。
日本が英語圏であれば
ダビンチ以上に
その名が世界中に知れ渡っているはずです。
本当の法力を身に付けた「神秘性」と
工学や医学の知識を習得した「合理性」を
兼ね備えた真の宗教家です。
このような偉人が過去に現存し
今も衆生済度のために天上界から
指導していることに対して
心から敬意を表しています。
空海聖人について
その天才ぶりを少しでも知っていただければ幸いです。