前回、アングリマーラについて
少し記述しましたので
なぜ殺人鬼になったのか
どうして阿羅漢になったのか
もう少し詳細に記述して
教訓となる教えを考察したいと思います。
本名は
アヒンサと言われており
コーサラ国のバラモン出身だったようです
12歳の時
500人の弟子がいたバラモンに師事し
四ヴェーダを学んでおり
容姿端麗で智慧も優れており
将来を嘱望されていました。
ある日
先生が留守だったとき
師の妻から誘惑されたが
アヒンサはその誘惑を退けました。
プライドを傷つけられた妻は
自らの衣を破り裂き
帰ってきた夫に「アヒンサに乱暴された」と偽って訴えました。
それを聞いたバラモンは怒り
策略でアヒンサを破滅させてやろうと考え
剣を渡して
「明日より毎日通りで出逢った人を殺し
その指を切り落として首飾りを作り
100人の指が集まったとき
お前の修行は完成する」と命じました。
アングリマーラとなったアヒンサは
99人の指を集め終わり
あと一人殺せば修行が完成するとき
自分の母を殺めようとします。
釈尊は
この青年を救おうと
彼のもとへ行きました。
釈尊を見た彼は
こいつを殺そうと刀を振り上げ迫りますが
釈尊は神通力を使って
滑るように動くため追いつけません。
そこで
アングリマーラは「止まれ!」と大声で言いますが
釈尊は振り向いて
「私は止まっている。動いているのはお前だ!」
と言ったのです。
釈尊は物理的には動いていたと思います。
釈尊の真意は
「私の心は凪いだ湖面のように静かな境地であるが
お前の心は荒波のように怒り狂って阿修羅の如くである。」
という意味だったのでしょう。
この一転語の威神力で、アングリマーラは改心して釈尊に帰依します。
釈尊の弟子となった彼は
街へ托鉢に出かけると
人びとから石を投げられなど
多くの迫害を受けます。
さらに
教団内の僧侶からも嫌われ
退転しそうになった時
釈尊は
「過去の罪を滅ぼすため
今、尊い修行をしているのである。
耐えなさい。」
と教えました。
それを聞いたアングリマーラは
血を流しながらも修行を続け
だんだん認められていきました。
ある時
アングリマーラが托鉢していると
一人の女性が難産で苦しんでました。
何もできなかった彼は戻ってから
釈尊に
どうすればいいか尋ねると
釈尊は
「生まれてよりこのかた
一度も命を殺めたことのない私の功徳により
この母子は安からん」と唱えることを教えました。
アングリマーラは驚いて
それは妄語に当たり
悪人だった自分が言っても功徳はないと疑問を伝えましたが
釈尊は自分の言った通りに唱えなさいと答え
アングリマーラがそのとおりに母親に唱えると
無事に子供が生まれました。
これは
仏陀の教えに帰依し
修行を続けて悟りを得ることで
光の存在となった場合には
過去の罪が今世のうちに消え
生まれたから罪を犯したことがないのと
同じになることを教えています。
しかし
アングリマーラが殺人鬼となった経緯を見ると
彼自身にも問題はあったと思います。
頭脳明晰で将来を嘱望されていたことに対する慢心
美貌の青年であることから心の中に欲情を持っていたため
霊的実体の戒体が十分ではなかったこと
ヴェーダを学んでいたにもかかわらず
師の命令を無批判に実行すれば悟りが得れるという
倫理観の欠如
このように
「無明」という罪が
アングリマーラにあると思います。
このような実例はオウム教をはじめ
悪の凡庸さとして
実社会には多く見られます。
犯罪を命令する者と
実行する者には同質の傾向が必ずあり
他人のせいにできないものがあります。
「敵はいつも自分の内にある」と自覚し
誰が正しいかでなく
何が正しいかを
常に思考し続ける自分でありたいと思っています。
この地上に生きている限り
財欲、食欲、色欲、睡眠欲、名声欲の
五欲からは逃れられないと知りつつも
欲望で心が支配され
その心が主となって
無駄な人生を送らないように
心掛けたいものです。
欲望をよく統御して
心の主となれるように
精進していきたいと考えています。
何らかの教訓になれば幸いです。
少し記述しましたので
なぜ殺人鬼になったのか
どうして阿羅漢になったのか
もう少し詳細に記述して
教訓となる教えを考察したいと思います。
本名は
アヒンサと言われており
コーサラ国のバラモン出身だったようです
12歳の時
500人の弟子がいたバラモンに師事し
四ヴェーダを学んでおり
容姿端麗で智慧も優れており
将来を嘱望されていました。
ある日
先生が留守だったとき
師の妻から誘惑されたが
アヒンサはその誘惑を退けました。
プライドを傷つけられた妻は
自らの衣を破り裂き
帰ってきた夫に「アヒンサに乱暴された」と偽って訴えました。
それを聞いたバラモンは怒り
策略でアヒンサを破滅させてやろうと考え
剣を渡して
「明日より毎日通りで出逢った人を殺し
その指を切り落として首飾りを作り
100人の指が集まったとき
お前の修行は完成する」と命じました。
アングリマーラとなったアヒンサは
99人の指を集め終わり
あと一人殺せば修行が完成するとき
自分の母を殺めようとします。
釈尊は
この青年を救おうと
彼のもとへ行きました。
釈尊を見た彼は
こいつを殺そうと刀を振り上げ迫りますが
釈尊は神通力を使って
滑るように動くため追いつけません。
そこで
アングリマーラは「止まれ!」と大声で言いますが
釈尊は振り向いて
「私は止まっている。動いているのはお前だ!」
と言ったのです。
釈尊は物理的には動いていたと思います。
釈尊の真意は
「私の心は凪いだ湖面のように静かな境地であるが
お前の心は荒波のように怒り狂って阿修羅の如くである。」
という意味だったのでしょう。
この一転語の威神力で、アングリマーラは改心して釈尊に帰依します。
釈尊の弟子となった彼は
街へ托鉢に出かけると
人びとから石を投げられなど
多くの迫害を受けます。
さらに
教団内の僧侶からも嫌われ
退転しそうになった時
釈尊は
「過去の罪を滅ぼすため
今、尊い修行をしているのである。
耐えなさい。」
と教えました。
それを聞いたアングリマーラは
血を流しながらも修行を続け
だんだん認められていきました。
ある時
アングリマーラが托鉢していると
一人の女性が難産で苦しんでました。
何もできなかった彼は戻ってから
釈尊に
どうすればいいか尋ねると
釈尊は
「生まれてよりこのかた
一度も命を殺めたことのない私の功徳により
この母子は安からん」と唱えることを教えました。
アングリマーラは驚いて
それは妄語に当たり
悪人だった自分が言っても功徳はないと疑問を伝えましたが
釈尊は自分の言った通りに唱えなさいと答え
アングリマーラがそのとおりに母親に唱えると
無事に子供が生まれました。
これは
仏陀の教えに帰依し
修行を続けて悟りを得ることで
光の存在となった場合には
過去の罪が今世のうちに消え
生まれたから罪を犯したことがないのと
同じになることを教えています。
しかし
アングリマーラが殺人鬼となった経緯を見ると
彼自身にも問題はあったと思います。
頭脳明晰で将来を嘱望されていたことに対する慢心
美貌の青年であることから心の中に欲情を持っていたため
霊的実体の戒体が十分ではなかったこと
ヴェーダを学んでいたにもかかわらず
師の命令を無批判に実行すれば悟りが得れるという
倫理観の欠如
このように
「無明」という罪が
アングリマーラにあると思います。
このような実例はオウム教をはじめ
悪の凡庸さとして
実社会には多く見られます。
犯罪を命令する者と
実行する者には同質の傾向が必ずあり
他人のせいにできないものがあります。
「敵はいつも自分の内にある」と自覚し
誰が正しいかでなく
何が正しいかを
常に思考し続ける自分でありたいと思っています。
この地上に生きている限り
財欲、食欲、色欲、睡眠欲、名声欲の
五欲からは逃れられないと知りつつも
欲望で心が支配され
その心が主となって
無駄な人生を送らないように
心掛けたいものです。
欲望をよく統御して
心の主となれるように
精進していきたいと考えています。
何らかの教訓になれば幸いです。