釈尊の幸福論についての考察です。
増一阿含経という経典に
以下のエピソードが書かれています。
釈尊の十大弟子の一人
アヌルッダ
釈尊の説法中に居眠りをしてしまい
説法後、出家の決意を静に諭されたので
ひれふして
「今日より以後
我が身が如何になりましょうとも
今日のような無様なことは致しません。」
と釈尊に誓いました。
その後
不眠の修行をしたため
睡眠不足から失明してしまいます。
真理を見る目、天眼を得たものの
針に通す糸までは見えなかったので
盲目のアヌルッダは
「誰か私の針に糸を通して
功徳を積み幸福になりたい者はいませんか。」
呼びかけました。
その時に
「私が功徳を積ませて頂こう。」
とアヌルッダの手から針と糸を取ったのが
釈尊でした。
師に雑用をしてもらうわけにはいかないので
遠慮しましたが
釈尊は
「私ほど功徳を積み幸福になりたいと思っている人間はいないのだよ」
と述べています。
アヌルッダは
既に仏陀であり如来であられる釈尊が
これ以上の幸福を求める必要はあるのかと尋ねました。
これに対して
仏陀であっても満足してはならないものが6つある
(1)施、(2)教誡、(3)忍、(4)説法、(5)衆生の愛護、(6)無上正真の法を求めること
これらは限りがなく、これで充分という限界はないのだ
と説かれています。
釈尊は
功徳を積むことが
幸福への道であることを教えています。
苦しみの多いこの世のなかで
どれだけ功徳を積んで生きたか
それによって
来世の行き先が変わってきます。
そして、
釈尊の有名な説法に
次第説法かあります。
施論・戒論・生天論です。
施論とは
「お金を布施」するだけでなく
自分の能力や時間・空間を
仏法流布のために差し出すことです。
そこには
三輪清浄が求められます。
①施者(布施する者、能施)
②受者(布施を受ける者、所施)
③施物(布施されるもの)
に穢れがないことが必要です。
施論を
もう少し広範囲に捉えることも可能です。
災害の被災者への義献金
困った人へのアドバイス
これなども立派な布施です。
また、
病人が周囲の人に笑顔で接することも
「顔施」と言って布施に当たります。
感謝の言葉も布施でしょう。
まず自分から与えられるものを考え
純粋な気持ちで与えることが
幸福への道だと思います。
戒論とは
戒めを守って
忍耐強く精進し続けることです。
この世的には
死刑に相当するような悪行を犯しても
改心して、戒律を守り
清らかな行いをすれば
天界に還れると
釈尊は説いています。
それ一例として
アングリマーラの例が語られています。
彼は
99人とも、999人ともいわれる人を殺め
最後の一人に釈尊を狙いますが
釈尊の法力により帰依し
仏陀教団に入ります。
しかし
世間の人からは
ブーイングの嵐で
食料などの布施も貰えず
他の僧侶からも嫌がられていました。
しかし
釈尊は
「耐えなさい」と言って
忍耐の法を説いていました。
アングリマーラも
石をぶつけられて
血だらけになりながらも
よく耐えて、立派な僧侶となり
阿羅漢の悟りを開いたと
仏典には記載されています。
このように悪に染まった人間でも
戒律を守ることで
幸福な人生が展開し始めます。
このように
布施をして
戒律を守り
この世の人生を満行すれば
死後も
天上界に還って
幸福な人生が待っていることを
生天論として釈尊は説いています。
不妄語(嘘を言わない)の戒めを言っていた
釈尊の説法なので
間違いのない教えであり
仏教的幸福論であると思っています。
皆様の幸福な人生の参考になれば幸いです。