平等についての考察です。
一般的に自由と平等は
無批判で正しいものと
受け入れられているかもしれません。
しかし、
平等に関しては、
平等を求める対象によって
天国的なものにもなり
地獄的なものにもなります。
「結果の平等」を求めたとき
そこに展開するのは
堕落、衰退、無気力などの
地獄的な社会が出現すると思います。
英語のことわざに
The road to hell is paved with good intentions.
(地獄への道は善意で舗装されている。)
があります。
格差を否定しすぎるあまり
すべての競争や切磋琢磨を否定することは
人間の健全な成長を阻害します。
以前、
小学校の徒競走で
順位をつけない「手つなぎゴール」
が話題になったことがありました。
マスコミが煽っただけで
実際には存在していなかったという説もあり
真偽のほどは分かりませんが
このような平等を肯定すると
運動会をやる意味はないし
生徒は真剣に取り組まなくなると思います。
実際
人間は能力も個性も生活環境も異なり
勤勉に働く者も怠けている者も
平等に扱うなら
勤勉に働く者はいなくなります。
平等の根拠は、
人間が神により等しく想像された
この一点に求めるべきものだと思います。
それ故
全ての人間が等しく尊い存在なのです。
努力の結果により生じた格差は
平等に扱うべきでなく
公平に評価すべきものであると思っています。
そして
結果の平等でなく
チャンスの平等を求めるべきと考えています。
身分制社会のように
生まれた環境でその人の人生が決まる社会は
個人の努力が公平に評価されない
健全な社会ではないと思います。
つまり
「チャンスの平等」とは「自由」のことなのです。
チャンスが平等に与えられた中で
努力する自由、怠ける自由があり
その結果が公平に評価される社会の方が
健全に繁栄していく社会であると考えています。
もちろん
最低限の社会福祉は必要でしょう。
しかし
過度の社会福祉は堕落した社会になって行くはずです。
そこには、夢も希望もないはずです。
官僚は
法律によって
様々な分野における参入障壁を築くことで
既存の組織を保護することを
正義と考えているように見えますが
健全な自由競争のない社会に未来はないと思います。
結果平等を求めるより
自由・民主・信仰が
健全に機能している社会の方が
格差は生じても
積極的で明るい社会であると思っています。
平等を求めるより
自由を求めて努力し
失敗や成功を経験しながら
その結果を公平に受け入れるように
心がけています。