仏教の伝統的な修行についての考察です。
仏道修行する者が修めるべき
基本的な修行項目が 
戒・定・慧であり、
三学といわれています。

戒とは
個人が主体的に守る内容を決め
日々の生活の中で実践するものです。
戒を破っても罰則はありません。
自分の良心の痛みが生じ
反省をすることになります。

具体例としては、
伝統的に以下の十善戒と呼ばれるものがあります。
不殺生(殺さない)・不偸盗(盗まない)・不邪淫(姦淫しない)
不妄語(嘘をつかない)・不綺語(おべんちゃらを言わない)
不悪口(悪口を言わない)・不両舌(二枚舌を使わない)
不慳貪(貪らない)・不瞋恚(怒らない)・不邪見(邪な見解を持たない)
最初の4つに不飲酒(酒を飲まない)を加えた五戒は、
仏教の在家信者が守るべき戒と言われているものです。

このような戒を自分に課し
日々実践していると
目に見えない「戒体」というものが形成され、
悪の誘惑から逃れられるといわれています。

定とは
戒を守ることで
心が乱れない状態を
維持できるようになり
さらに
精神統一(瞑想)をすることで
心の浄化を進める修行です。

瞑想法には様々な種類がありますが、
基本的な瞑想に五停心観というものがあります。
・不浄観(貪りの心を抑える観法)
・慈悲観(怒りの心を抑える観法)
・因縁観(愚痴の心を抑える観法)
・界差別観(自我が強く驕り高ぶる心を抑える観法)
・数息観(心の散乱を抑える観法)

不浄観は
主に性欲を抑える修法で
腐乱した死体が
白骨になっていく姿を心に描き
煩悩の炎を消すものです。

慈悲観は
怒りを相手にストレートに出す前に
相手も神が創造された存在であると思って
平等視をするよう努力し
抜苦与楽の心を呼び起こして
心を穏やかにするものです。

因縁観は
愚痴や不平不満を抑える修法で
因果の理法に基づいて
原因を探求し
神を恨んだり、人に八つ当たりする
態度を改めるものです。

界差別観は
自分を構成している要素を
十八種類に分けて
自我やプライドを抑える修法です。
自他の比較で思い上がっている心を
「六根・十二処・十八界」に分解し
この世の自分がいかに虚しい存在であるかを
気付くことで、無常を感じ
天狗の心を抑えるものです。

数息観は
雑念ばかりが浮かんで
一つのことに集中できないときに行う修法で
深呼吸をしながら数を数えて
心を穏やかにする修法です。

このような禅定を続けていくことによって
自分のうちに智慧の光が生じてきます。
洞察に裏付けられた深い叡智を得ることで
自分の迷いや煩悩を滅尽できてくると
他人の心の闇を切り裂いて
智慧の光を与えることができるようになり
これが救済へとつながっていきます。

そして
最後に
智慧を得ることで
無明が破られ
解脱し、
悟りの境地に達することができます。

後天的な修行によって
得られる智慧に
聞慧・思慧・修慧
の三種類があります。

聞慧とは
悟りたる人の話を聞いたり
真理の書籍を読んで吸収した智慧です。

思慧とは
真理の知識を思索することで
自分のものとし
応用ができるまで昇華できた智慧です。

修慧とは
禅定を習慣化し
真理知識を深く考え続け
深いところまで身体に沁みてくる感じで分かってくる智慧です。

このように
仏道修行の目的は
智慧を得ることなのです。
滝に打たれたり
断食したり
千日回峰をしたり
奇妙奇天烈なことをして
他人の耳目を引くことではありません。

三学修行を実践すれば
宗教の正邪を見抜けるだけでなく

人生途上で遭遇する

難問を解決する
智慧を得ることができます。
この修行をやることは
難しくはないですが
凡事徹底して継続していくことは
決して容易なことではありません。

しかし
やるだけの価値はあります。
三学修行を通して得た智慧により

皆さんが自分で問題解決できる人となり

周囲の人たちの悩みにも

的確なアドバイスができるように

なって行かれることを

切に願っています。