少し気になっている二元論について考察します。

善と悪、
上司と部下、
富める者と貧しき者、
健常者と病人。

この様に、二元論で物事を分類していくと、
優越感や嫉妬を生み、
無限ループに陥り、
問題解決にはならず、
上位概念による統合が必要である。
と何かの本で読んだことがあります。

特に、善悪二元論でのレッテルを張ることが
戦争の最大のプロパガンダに使われ、
国民を洗脳して戦争に没頭させることが
指導者層の常套手段である場合もあるでしょう。
これは、憎しみの連鎖を生み
決して平和な解決にはなりません。

この二元論は過去の歴史で
何度も使われてきており、
これからも使われる恐れがあります。
例えば、
キリスト教における
カソリックとプロテスタントの戦い
イスラム教における
スンニ派とシーア派の戦い
キリスト教とイスラム教の戦い
アメリカの南北戦争
この様な対立は、相手への憎しみや憎悪を掻き立て
決して終わることのない泥沼の状態を生じさせます。
神は、このような状況を決して望んでいないことを
われわれ人間は悟るべきだと思います。

しかし、明らかに悪意を持った指導者による
戦争も存在します。
例えば、
ヒットラードイツによる欧州占領
毛沢東中国によるチベット占領
これらの意図的な野望による侵略に対しては
断固として阻止することも必要な場合があります。

これらの違いを見分けることは
歴史の流れを見ないと
明確には判断できないのかもしれません。

しかし、二元論による価値判断を
回避してばかりいると、
混沌とした無秩序な世界になりかねません。

初期においては、

善悪二元論をちゃんと幼児教育に取り入れるべきと考えます。

嘘をつくこと、盗みをすること、人を傷つけること

これらは「悪」であると教えることが教育の基礎だと思う。

 

しかし、成長するとともに

悪とは、人・時・所の相対的な不都合から生じていることを

理解するようになると

寛容さが生まれ、

高次な統合への道が見えてくるように思う。

 

このようなプロセスを経ないと

混沌とした世界のまま

悪を増長させることになる。

神はこのような状況を決して望んではいない。

あの世には、天国と地獄が厳然としてある事実から見れば

善悪の基準は明確にあるはずです。

 

単なる二元論で相手にレッテルを張ることなく

多面的な価値判断をしながら

高次の意思を推測して

より善なるものを選択できるように

努力していきたいものである。