6月に入り、熊本地震で損壊した熊本城では、夜間のライトアップが1カ月半ぶりに再開されました。

大西一史熊本市長は、熊本の誇りである建物が光り輝くことで、市民にとって「あすへ向かう希望のともしび」になることを願っていました。


5月19日(木)に、天皇、皇后両陛下は、日帰りで熊本県を訪問されました。

18日までの叙勲関連行事後は、当初静岡県の須崎御用邸で静養される予定でしたが、熊本で発生した大規模地震を受けて変更されました。

「全国豊かな海づくり大会」に合わせ、同県を訪問された2013年には、くまモンとのご対面が話題になりました。

先月の被災地ご訪問の際に、皇后陛下が身に付けられたピンバッジは、そのPRキャラクターがモチーフになっています。
2年半前にプレゼントした蒲島郁夫熊本県知事は、その当時を思い出し、熊本に寄せる思いに感謝していました。


昨日、熊本地震の本震から2か月を迎えました。

仮設住宅への入居は、余震の影響で遅れ、前震から52日の6月5日(日)に始まりました。

寸断された交通インフラは、復旧してきています。
5月9日(月)には、大分道が開通して九州高速が全線復旧となりました。

特に、九州新幹線の全線再開は、明るいニュースでした。
当初の復旧予定の4月28日(木)より、1日早い完了。

南阿蘇鉄道は復旧に遠いですが、その願いは「希望の光」という復興祈念切符に込められています。

2014年4月に全線開通した三陸鉄道は、東北に希望の春を届けましたが、岩手県沿岸部を震災以前のように走るまでに約3年かかりました。


異例の連続地震となった熊本地震は、4月14日夜の前震が恐怖を与えました。
16日未明にも最大震度7の大きな揺れがあり、この本震で被害が拡大しました。

その上、余震が断続的に続き、多くの被災者は不安な毎日を過ごしています。

九州を襲った巨大地震。
この世界的なニュースに、海外からエールが届きました。

すぐに支援を決断した台湾政府は、2011年の東日本大震災に続き、多額の寄付を発表しました。

台北市の「KUMA Cafe(くまカフェ)」は、レジにあるくまモンのイラストと「熊本加油!」の文字で、早々と募金を行っていました。
日本のキャラクターが海外でも受け入れられている事実と、両国の強固な関係を知ることになりました。

最初の地震直後の写真では、くまモンラベルの日本酒が地面に倒れていて、やるせなさを覚えました。
前震発生の翌日は、仕事に身が入らない金曜日となり、遠い九州の情報に耳を傾けました。

くまモンの生みの親で、熊本県天草市出身の小山薫堂氏は、暫く活動方針に困っていたようですが、4月28日に熊本地震復興支援プロジェクトを立ち上げました。
くまモン募金箱も設置され、被災地に「希望の光」を生み出す支援計画が動き出しました。

漫画界の支援は、くまモンのイラストを公開することで、被災した方の笑顔を取り戻す意味があります。

九州新幹線の5年前のCMが、注目されている理由もそこにあります。


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陽気な表情のくまモンは、立ち上がる気力を与えてくれる存在。

アナウンサーとのツーショット写真では、見ている私も笑顔になりました。

日本中から活動再開の要望が相次ぎ、熊本県のご当地キャラが復活したのは、こどもの日の5月5日。
地震発生から3週間で、ようやくくまモンが一歩前へ踏み出しました。

多くの人に愛されるキャラクターと触れ合い、子どもが喜んだ表情を見せると、親も元気になるといいます。
熊本県のPRキャラクターは、地元の人を安心させてくれる、唯一無二の存在。


2月最後の日曜日に、甲府駅前のバス停で出会った台湾人女性は、とても優しい人でした。

その前の台湾南部地震の影響が気になりましたが、日本に来てくれたのです。


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同日に再会した時には、ハローキティのサプライズプレゼントが嬉しいことでした。

東京ではなく、山梨での異文化コミュニケーションに驚きがあるのです。


ゴールデンウィーク前に、営業中のホテルのキャンセルが相次いだ九州。

観光産業の再生として、6月3日(金)には、熊本空港(熊本県益城町)発着の国際線の一つが運航を再開しました。

地震国の側面もありますが、再開した熊本-台湾高雄線をきっかけに、多くの外国人観光客が九州エリアを訪れる風景が戻ってほしいと思います。
それには、国の特別史跡・熊本城が修復されることが鍵で、重要な観光資源の阿蘇も同じです。

4月下旬に、被災したある小学生が、加藤清正が築いた城を、じっと見つめていました。
ただ、悲観しているようには見えず、かすかな希望を抱いているようでした。

避難所では、心に悩みを抱えているはずの子供達が、元気に振る舞い、高齢者の支えになっていました。

地震に慣れない地域で、揺れが当たり前になり、被災者のストレスが溜まります。

そして、耐震化率が100%近いので安全とされてきた、学校施設の45か所を含む、指定避難所の70か所が被害を受けて使用できない事態に。

被災した熊本県宇土市役所の庁舎は、旧耐震基準の4階部分がひどく損壊し、現在も立ち入り禁止になっています。

防災拠点の補強工事が進まなかったことを嘆くよりも、このような大きな地震が起きたことが、想像をはるかに超える事態なのです。

人手不足で職員の負担が増えた被災自治体には、全国の各自治体が職員を派遣することによる、人的支援を実施しました。


避難場所以外で暮らすには、リスクをともないます。
相次ぐ余震による家屋の倒壊を覚悟で、自宅にとどまることを選んだ人。
狭い場所を承知で、自動車の中で寝泊まりする人。
後者は、建物の中にいる方が怖く、屋外が安全と判断したことを意味します。
車中泊では、同じ姿勢になりがちなので、適度な運動が必要です。

全国から、過酷な環境下の避難者を助けようと、救援物資が次々と運び込まれました。

しかし、4月16日直後には、大量の物資が捌かれずに、集積所に滞留していたことがありました。

大変な状況で、食事が確保できないもどかしさ。
物資が直接被災者には届かず、現場で暫く混乱を極めたのは、仕分け作業をするにも、人手が必要だということなのです。
ですから、1995年の阪神大震災以降、大規模災害時に、ボランティアの果たす役割は大きくなっています。

2004年の新潟県中越地震で問題になった、エコノミークラス症候群では、水分補給が生死にかかわります。
遠い仮設トイレに行くことを嫌がり、水分補給を控えるのは、女性に特有のことだと言います。
また、脱水症の対策としては、トイレを清潔にすることです。

多くの医療チームが被災地入りし、医療機関へ行けない持病を抱える人へ薬を処方したり、精力的に活動していました。
しかし、車中泊を続ける人に対しては、健康状態の把握が困難で、支援しづらいのが現状です。

そして、恐れていた震災関連死も出てしまいました。
運動というものでなくても、歩ける屋内と、ずっと同じ姿勢の車中では大違い。

広い公園に設置されたバルーンシェルター、囲いのある段ボールベッド、被災者の体調を崩さないようにと、様々な試みが見られました。

プライバシーを配慮した、2メートル四方の間仕切りも設けられ、長期化が予想される避難生活の改善が進みました。

ただ、食料調達するには、特定の場所にいる必要があります。

本震直後には、急を要する事態が生んだ地面の文字が、空を監視するヘリコプターへSOSを伝えました。
そこには、必要な物資がスプレーや椅子で書かれました。

特筆すべきは、米軍の協力で、初めてオスプレイが日本国内の災害で派遣されたことです。
大規模な土砂災害が起きた熊本県南阿蘇村へ、水、食料、簡易トイレなどの支援物資が空輸されました。
阿蘇大橋が崩落したことで、孤立の恐れがある集落に、垂直離着陸できる輸送機が届けた支援物資は、計約36トンに上りました。

米所である南阿蘇村は、いつもと違う環境で、田植えシーズンを迎えることになりました。

命の糧を増やす田植えは、都会で消えゆく風景。
カエルの合唱は、私には遠い記憶です。

避難生活を余儀なくされている方は、18万人あまりをピークに減少を続け、現在では1万人を切っています。

それでも、校舎を避難所に利用しているため、避難者が仮設住宅などに移るまで、体育館や一部の教室が使えない所があります。

家屋を壊された人々が身を寄せていた、熊本県内の学校。
ピーク時の4月18日(月)には、休校数が401校にも上りました。

子供たちが学べ、潑刺と活動できる場所を確保するため、元通りの学校生活に戻るのは先でも、学校の再開が必要でした。

西原村の全小中学校3校は休校が長引きましたが、5月11日(水)に解消されたことで、全校が再開となりました。

それにより、“子ども無線”が終了しました。
毎日、西原村の小・中学生の声に、地元の大人が励まされたと言います。

地域の絆を生かすことが、避難生活では欠かせないことを示す事例です。
最後の放送は、大好きな村の復興を願い、「頑張れ」と自らを鼓舞していました。
災害時には使いづらい言葉かもしれませんが、力のある言葉で、私も好きです。


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頑張れば、誰かに信じてもらえるので、また頑張りたくなるのです。


また、「ファイト」と歌われたら、やってやるという気持ちが湧いてきます。

5年前に比べて、スマホの普及率は驚くべきものがあり、SNSで窮状を訴えることで、避難所で何が必要とされているかを把握することが可能になりました。

不安を解消するためには、情報も必要で、それには被害状況を確認することが条件となります。

携帯ラジオがいかに役に立つかは、災害時にならないとなかなか実感できないでしょう。
今では、携帯電話を充電でき、懐中電灯として使えるラジオもあります。

その力を知るのは、DJが被災した人たちに寄り添うように、災害情報を伝えている時。
そして、あるリスナーの祈りが、心に響く佐野元春の「SOMEDAY」(1981年)のリクエストに繋がりました。


地元を離れた方や、避難された方が、一刻も早く、憩いの場である家に戻ることができるように祈ります。
今回の地震では、応急危険度判定で「赤」と判定された建物が、東日本大震災の規模を超えました。

震度7を2回観測した益城町を離れ、公営住宅へ避難したある被災者が、倒壊の危険を示す赤い紙が貼られた自宅へ、1年後には戻れるのか気になります。

ネパール大地震では、1年経っても自宅に戻れない、仮住まいの被災者は400万人に上るようです。

それでも、復興は必ず成し遂げられます。
支援は広がっていますから、穏やかな日差しを受け、笑える日は必ず来ます。

4月に、私が住んでいる横浜市の小学5年生が、新聞に投稿しました。

〈真っ赤なトマト。私はトマトが大好きです。見ているだけで元気になるし、食べるともっと元気になります〉

執筆が熊本地震の前後かはどうあれ、熊本の基幹産業の農業関係者が読んだら、泣いて喜ぶ内容でしょう。


関東のスーパーでもよく見かけるのは、熊本のスイカとトマト。
生産量全国1位と知って、さすが農業県だなと納得しました。
西瓜に塩を振って食べれば、水分と塩分を同時に摂取できるのです。

農林水産関係の被害額が1000億円超になり、夏野菜の出荷の面で、影響が出てきますが、復興に向けて進んでほしいです。

また、余震とともに、梅雨や台風の季節が懸念材料ですが、忍耐強い熊本の人は、なんとか頑張ってくれると信じています。


連休中にも、熊本地震の被災者を支援しようと、全国で募金活動が展開されました。

5月7日(土)の私の行き先は、神奈川県立近代美術館 葉山。
旅行と言える距離ではないかもしれませんが、1年前のGWと同じルートを辿りたくなったのです。

その時読んでいた本が、村山由佳著『ヘヴンリー・ブルー』(集英社文庫、2009年)。


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亡くなった姉が残したものが、新しい生命の誕生を示す証明だとは。

気になった箇所は、どうしても震災との関連性を見出してしまいます。

〈たとえば災害や犯罪などによるショックがもとで起こる精神的な後遺症は、直後ではなく、ずいぶん後になってからふいに顕れることもあるのだという〉


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新逗子駅前でバスに乗り、「原田直次郎展」へ。


最後列の大学生は賑やかで、GWの昼寝癖を気にしている話をしていました。
私は、その前の窓側の席に座りました。

昨年と変わらなかったのは、海が見えた時の歓声。
美しい光景を見た時の感動で、「きれい」と、女子大生の口から一言漏れました。
その時になって、私は視線を窓の外へ移しました。


進行方向の右手には、時折輝いた海が覗きます。
昨年は、同じシチュエーションで、立ったまま姜尚中著『心』(集英社文庫、2015年)を読んでいました。


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まさか、1年後にこんな苦境が待ち受けているとは、思ってもいなかったことです。

熊本市出身の著者の本音でしょう。

〈もうこれ以上、悲劇は起きてほしくないと願わずにはいられなかったのである〉

美術にも造詣が深い政治学者の小説は、夏目漱石の『こころ』に影響を受けていることが明白で、先生として著者が実名で登場します。

親友の死を受け入れることができず、先生に悩みを打ち明けた大学生は、大震災とどう向き合うべきかを考えて、被災地でボランティアをするため行動を起こします。

大好きな海に潜れる彼の能力は、津波で沈んだ遺体の捜索に向かわせますが、後遺症を抱えることになります。

それでも、人生観が変わるほどの貴重な経験は、青年の成長を促し、生きなきゃいけないと強く思うようになります。

喪失感を乗り越えながら。

また、かけがえのない仲間に励まされて、親和力は芝居へと昇華します。


被害額の比較では、東日本大震災が16.9兆円、熊本地震は約2.4~4.6兆円と大きな差があり、同じ規模ではありませんが、惨事であることには変わりありません。


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山の前にある、海に近い美術館。


心に罪悪感を持っていても、生きなければならない。
折角生まれてきたのだから、自分の物語を描かなくは。

大型連休明けの5月9日(月)に、演劇部に所属していた中学2年生の女子生徒2人が、一緒に自殺するという悲しい出来事がありました。

その一方で、2007~14年度の手術死問題では、生きられる期間を奪われたことに対して、患者の遺族が「命を何だと思っているのか」と、群馬大学病院を非難したことが印象に残りました。


「愛しているよ」と言ってくれる人、親身に支えてくれる人は必ずいるはずです。

私が尊敬するエッセイストが書いています。

〈生きることを諦めない限り
必ずその証が残る〉

生きるには希望が必要です。

心のバランスが整っていれば、感動することができ、救いの道を歩めます。

また、信頼できる人間を思えば、明日に希望を持てるはずです。

早く地震が収まり、熊本、大分両県の被災地の皆さんには、いつも通りの生活を送ってほしいです。


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視線の先にある、夕日に照らされた相模湾が、2020年東京五輪のセーリング競技が行われる会場。


近い将来、静岡県沖から四国沖にのびる南海トラフで、巨大地震が起きるかもしれません。

南米エクアドルでも発生した4月の大地震で、首都直下型地震への備えの必要性を感じます。


多くの生命が奪われたことに、何も感じないとしたら、亡くなった人の記憶が消えてしまうことになります。

5月27日(金)に、現職の米国大統領として、初めて広島を訪問したオバマ大統領は、世界を変えようと、心に響く言葉を被爆地に寄せました。


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2016年の春は、命について深く考えずにはいられない季節になりました。