自分の内側の批判者

だれでも抱えていると思うのです。

例えば、なんでもかんでも常に自分を激しく責めたり
こけおろしたり
失敗するからやめろといってみたり
それをしかとしてやってみて失敗したら
やっぱり失敗するだろ?だからお前はダメなんだ
お前はなにやってもうまくいかない

などなど


内なる批判者の声のいう通りにしたり
常にその声を聞いて鬱になってしまったり

実はよくあること。



その声の正体は
過去言われた言葉ですよね。

親や友達、上司、見ず知らずの人

言った方は忘れてるけど言われた方は覚えてる。


私もありますよ。
ありました、が正確かな。

嫌なこと言われて傷ついたこともたーくさんあります。

デブ、ブス、バカは言うまでもなく
頭のてっぺんから足先までボロクソ言われたこともあるし、内面のことも
競争心がないとか
ぼーっとしてるとか
何も考えてないとか
幼いとか
精神年齢が中学生とか
センスがないとか
気が回らないとか
言われました。

でも、私は言われたことを全部採用してないんです。

どんなに他人から言われ
それが内なる批判者に変化しても
最終的にそれを採用するかどうかは私次第。

どんなにブスといわれようが
どんなにバカと言われようが
どんなにデブと言われようが
それを私が受け取るかどうかは私が決める。

他人から言われて傷つくこともあるけど
受け取るに値しないこと言われることもあるからね。
受け取るに値しないからこそ受け取ってしまう場合もある。

だから、知情意の意を強くすることに意味があるんじゃないかなー

不動心よね。

私はあのモーゼね。
モーゼから不動心見せつけられたんだよね。
「スピ的子育て」で書いた気がする。
不動心で何十万の人導けるんだなあ
そりゃそうかって感じたことある。


と、「意」のエネルギー強めに書いてみました