ゼウス
我はゼウスである
我から
法は放たれ
それを皆は知る
皆は
正しさを知りたがる
正しさを知り
己の中に
楔として打ち込みたい
正しさを
支柱としたいがため
知りたがる
だが
みなよ
見てみよ
人の数ほど
正しさはある
ある者にとっての
正しさは
ある者にとって
正しさとはならない
絶対的な正しさなどない
これが正しさというもの
である
ただ
神が意図する正しさは
存在する
だが
多くの者は
それさえ
己の都合で
捻じ曲げる
歴史を見てみよ
いつでも
人間心で
神の言葉を
曲げてきたではないか
では
正しさとは
なにか?
みなは迷う
正しさをくれ
正しさを教えてくれ
絶対的なものをくれ
みなそう求める
我に求める
故に
我は正しさについて
何も語らない
されど
できることはある
正しさとは何か
常に
己に問うてみる
これが正しいと確信しても
異なる場面では
通用しないことがある
だから
この場面で
なにが正しいのか
誰にとって
何が正しいのか
目を光らせることだ
狭い了見の中に
己を
押し留めず
それこそ
神の視点になり
己や他人をみてみよ
さすれば
また違った正しさが
顔を出す
己の視点しかない者は
狭義の正しさしか
知らないで終わる
さすれば
人を勝手にうらみ
人の話すことを
捉えられず
己の欲望のみに
走る
常に
己に問いかけ
固めない正しさを
持ち続けることだ
みなは
固めない正しさなど
不安であろう
だが
固めない正しさを
己の中に
住まわすことが
できるなら
己の成長を
感じることが
できるだろう
我はゼウスなり
かつて
ギリシアの地に
おいて
全知全能と
呼ばれたゼウスである
我から
法は放たれ
実行される