理系の人がおっしゃる

層がある
レイヤーがある
というご意見
大変よくわかります。


例えば、自分と向き合う
自分の内側に入る

これでも相当なレイヤーがあります。

自分では充分内側に入ってると思っても表面をなぞってるだけなこともよくあります。


悲しいことさえ気が付かない
から始まり

悲しいと気がつく

この段階でも
内側に入ったと認識する人もいます。
悲しいと気づいてない人からすると気づけただけで大きな進歩ですから
内側に入ったと感じるのです。

もう一歩進むと

何故悲しいのか?

と掘り下げることができます。
ここまで行き着く人は実は少ないのです。
それ以上踏み込む必要がないと思う人
余力がない人
それ以上奥があるとは想像もしてない人
色々います。

さらに踏み込むとしたら
何故このパターンで悲しく感じるのか?
過去も同じパターンで悲しく感じてなかったか?


さらに、その前提や自己像はどうなのか?
手放してよい前提ではないか?
自己像が曖昧ではないか?

そこまでいく人は一握りです。

もっと探れる人もいるでしょうが
これくらいレイヤーがあるよということで
皆さんどうですか?
みなさんはどのレイヤーで自分の内側を見てますか?
掘り下げてますか?
自分では精一杯掘り下げてるつもり
内側見てるつもり
向き合ってるつもり
であっても、そうでもなかったと気づける方もいたでしょうか?

そうやって
理系の人がおっしゃる
「試行錯誤」をすると
質がよくなるよ
ということです。

特にアンドロギュノスは
深掘りすることをせざるを得なくなるし
拒否していては何も進みません。

ってことですよ。