続きます。

私のソウルガーディアンの記事を読み、受け入れられない人もいるようですが
それはそれ。
私はゼウスの娘でもありました。
ゼウスのメッセージにもありますように
ゼウスは本物しか好みません。

その薫陶を受けた私ですから、私も本物しか好みません。

この口はいつも真実しか語りません。
それがアテナです。


先程のメッセージのまとめ、追加ですが
暴走から目覚めへ移行するには
まず観察すること。
感情が暴走する時もあります。
それはいいのです。
感情を押し込めてはいけまん。
感情のまま行動するのではなく一旦落ち着いて内面を見る。

そして、相手や運命のせいにするのではなく
つまり他責ではなく
全て自分から起こっていると覚悟を決める。腹を括る。
次に闇を抱きしめる。
彼ができない方が多いですね。
ダークワーカーが何度も言いました。
己の闇を唾棄しようとする方のなんと多いこと。
しかし、その闇もまた自分であるということ。
根源の傷を知り、癒し、飲み込むこと。

さらには、彼なしでも自分の人生を考え、推し進める陰の強さを持つこと。
そしてそして、スピ的な美辞麗句より
つまり、スピリチュアルな要素を含んだ美しい言葉を並べるより行動と変容で示すこと。

目覚めたアンドロギュノスは
彼でないと
彼がいないと
という彼依存から
彼を通して愛を学び広げていくんだという意識に変わります。

アンドロギュノスは出会うこと、完全融合が目的ではありません。
覚醒の起爆剤にしか過ぎず
完全融合の後が本番です。
ゴールは完全融合ではないのです。

たくさんのチェック項目を挙げました。
真のアンドロギュノスならば並々ならぬ闇を乗り越えて、心理的葛藤を乗り越えて覚醒し魂を光らせ
真の自分になっていくでしょう。
その工程には並々ならぬ魂の陰的強さを携えないと
寄せては返す闇から逃げ出すでしょう。

私がこのような話をし
みなさんに自分を振り返る機会をもっていただいたのは、神の視点の誕生を促しています。

善意なる第三者の視点というのは覚醒の中で必要となってきます。
客観的に自分がどのような状態であるか
私が話したたくさんの項目に照らし合わせると
自ずと導かれると思います。

自分が暴走型であったり
アンドロギュノスではないとわかったとしても
落ち込むことはありません。

何故落ち込むのか?
そこも掘って欲しいのです。
アンドロギュノスに特別な位を与えていませんでしたか?
アンドロギュノスの自分であることに優位性を感じていませんでしたか?

アンドロギュノスであってもなくても目の前の人を愛するのは変わりません。
アンドロギュノスでなくとも覚醒はできますし
愛を広げることはできます。


イエスキリストがそうです。
ある意味、我が父ゼウスもそうです。
戦争をなくし、その代わりにスポーツでという案を出したのは愛に違いありません。
彼でないとダメだという思い込みは愛の暴走です。

真のアンドロギュノスなら
彼でないとダメという気持ちが自分も彼も自由にしないとわかるのです。
真の愛は自由がつきものです。


厳しいことを話したかもしれませんが
真のアンドロギュノスならば当然のことだと
アテナのいうことはその通りだと
逆に甘いのではないか?
という感想を持つ真のアンドロギュノスもいるでしょう。
それくらい乖離があります。

みなさんの愛は彼にあるのではなく
自分の中にあります。
それを忘れずに今休みの方も多いのでゆっくり自らを振り返ってみてください。

何かあったらまた私はここに参ります