耄碌ジジイがまた来てみたが。
ワシが言ったとされていることを「本人」が改めてここで話してみようかの。
これもまた趣があるの。
優れている人
素晴らしい人
物事をよく知っている人は
神理を聞いたら
そのまま素直に神理を行う。
普通の人は神理を聞いても疑う。
くだらない人は神理を聞いたらバカにして笑う。
そうやってくだらない人間に笑われるくらいでないと神理とは言えないものだの
ワシはこんな話をしたらしい。
本当にこれを話したかどうかは別として
この通りだと思う。
2•6•2の法則があると巫女も話していたことがあるが
神理を聞いて実践するところまでいく人は少ない。
全員が神理を聞いて実行したら地上はこうなってないの。
悲しいがの。
だがな、地上はそんなものよ。
地上の人間というものはそんなものよ。
それ込みでワシらは神理について語ったり語らなかったり。
だから、みなもこれから
人に対して心を打つ話
心を救う話をしようとする時、全員が話をそのまま聞き実践するとは思わないことだの。
特に今は
自然と共に生きる
和して生きるということよりも他の刺激的なことに心を奪われておるからの。
愛が足りないという天界のものもおるが
ワシは神道と近いかの。
和が足りんのだ、和が。
ところで、孔子と老子の二代巨頭がおるが、大きく違うことがあるのはわかるかの?
孔子は上下のエネルギー
ワシは横のエネルギー
これからは横のエネルギーが必要となり
そちらが主となる。
横のエネルギーを担うのが
ワシらや神道や愛を司る者たちなのだが
そのあたり、地上にはまだまだ届いてないゆえ
だいぶ手こずっておるの。
まあ、それも和でやっていくしかないの。
横のエネルギーを意識しつつ、焦らず
全員にわかってもらおうと思わず
和でやるしかないの。
巫女は幾何学模様の解読に忙しそうだが
ワシは好きにすればいいと思う。
巫女は巫女故
巫女たる仕事がある。
ま、ワシは幾何学模様を読み解くなどという
めんどくさいことはせん。
そんなことするなら庭の鯉を愛でるに限る。
色々話したが
みなはこんな耄碌ジジイの話を聞くことはないぞ。
ジジイの戯言として
聞き流すのが一番よ。
それでよい。