実はこの時間帯の方が
天界と地上はつながりやすいんです。
というわけで、少しお話ししましょう。
みなさん、今の時代
百花繚乱
地上でいろんな人がいろんな心の話をしてます。
それはいいことです。
ネクタイを選ぶように
自分が好きな
自分にあった心の話を選んで聞いて実践すればいいんです。
だけどね
前にも言ったけど
如来というのは法を説く
菩薩はその法を広める
逆をいうと、法は如来しか説けない
菩薩は法を説けない、説いてはいけない
ということです。
法を説くとはそれくらい責任が重いんですよ。
法というのは地上の法律じゃなくて
心の教えです。
背後に神がいる心の教えです。
お釈迦さまの教え
キリストの教え
ムハンマドの教え
マヌの教え
ゼウスの教え
色々あります。
限られた人しか許されてないことです。
自分の内面のアプローチも終わり
菩薩の過程を超えて
神の話ができるようにならないと法は説けない。
これ、しつこく僕はいいます。
なのに、如来でもない人が法を説いてるんですよ。
今そういう人います。
意外に多いんです。
地獄の一丁目
或いは地獄直行です。
恐ろしいです。
だって、その法を信じたことによって
信じた人の人生の責任を持つことになるんですよ。
それは大変なことです
大変な責任です。
それだけの魂の器があるんですか?ってことです。
器もないのにそんなことして大丈夫ですか?
大丈夫じゃないですよね?
これは新しい教えなんだといって、たくみに人をあの世に追いやるような法を説いてる宗教者もいました。
政治家もいました。
今地獄の最深部で悶え苦しんでますよ。
地獄から這い上がってこららるのに何万年かかるかわかりません。
だから、みなさん
安易なことしてはなりません。
アテナもよく話してますけど、まずは自分のことをやる。
内面に入って自分自身を振り返る。
自分のことができてないのに人に対してあれこれ言えるわけないですね。
自分の仕事が満足にこなせないのに後輩の指導なんてできません。
肉体を持った如来でさえ
最初は人に教えを請うことをしたり、修行というのか内面に入ることをしますよ。
そういう「イベント」があるんです。
お釈迦さまみたらわかりますね。
するするっとブッダになったわけじゃない。
このブログ読んでるみなさんの中に如来はいません。
はっきりいいます。いないと言い切れます。
だから、法は説けません。
でも、自分を律して内省を進めた後
法を広めるお手伝いをできるようにはなります。
つまり、菩薩ってことですね。
それなら今世でもなれます。
地球に人類がやってきて数億年。
菩薩から如来になった人まだいません。
いないんですよ。
菩薩から菩薩と如来の間の境地に至った人はいますけど、如来になった人いないんです。
数億年でもね。
それくらい境地に差があるんですよ。
だから、知らないとはいえ
法を説くということはしてはいけないんです。
自分のためにも
人のためにも。
それ知らないで
法説いてるひといるんですよ。
そういう人には僕の声は届かない、気が付かない。
ジレンマです。
ヤキモキしますね。
みなさん、大きく出ないで
まずは自分からです。
お釈迦さま見てください。
あのお釈迦さまでさえ
内省したんですよ。
お釈迦さまほど深く内省してますか?
ならば、コツコツ内省しながらその内省を発信するという方法もあります。
それはいいんですよ。
ここに気づけたとか
こんな失敗したけど、この失敗で成長できたとか
こういうのはいいんです。
それは自分の体験ですから。
でも、法となると話は変わってきます。
巫女が動画見てると時々
法を説いてる動画があって
僕はハラハラします。
非常に浅慮に動画の内容考えてます。
危険です。
何度も言いますけど
まずは内省。
自分です。
自分が何者であるか
どんな特徴があるか
どんな個性なのか
それを深く知ることから始まります。
何歳からでもできます。
大言壮語しなくていいんです。
神から任された自分をまずはよく深く追求し、よく知ってからでも遅くはありません。
では、みなさんおやすみなさい。