みなさん、おはようございます。
私の人生を日本の皆様はご存知ないと思います。
なので、簡単にお話しすると信仰を貫いた一人の女性です。
裕福な男性から信仰の放棄を条件に結婚を申し込まれたのですが、私は信仰を選びました。
なので、私はその後過酷な思いをしたのですが
私はそれでも自分の人生として満足していましたし、今もそれで良かったと思っています。
聖書にも
「二人の主人には同時に支えることはできない」という言葉があります。
物質的な裕福さと
信仰
それは両立できたら地上としては大変喜ばしいことなのですけど
全ての人がそうはいかない。
今の世であれば、信仰ではなく
信念、信条でしょうか。
心の安らぎ
魂の幸せを蹴って物質的な幸せを得るのか
地上的な常識を蹴って魂の喜びを取るのか
その人次第です。
例えば、日本では嫁姑問題があると巫女から聞きました。
その時に間に立つ夫はどちらにつくのか
というのもそうですね。
二人の「主人」ではないですが、母親につくならば奥さんと離婚することになるし、奥さんにつくなら母親と絶縁も辞さない覚悟が必要でしょう。
私は地上というのは
どれだけ自分の人生で腹をくくれるか
だと思うのです。
私ほど激しく人生を過ごさなくとも良いのですけれど
どのような形にしろ
人生の選択の時に腹を括らないといけない時が何度も来ます。
その時に
愛を取るか
つまり、魂の喜び
目に見えないけれど幸せをとるのか
物質的には不自由しないものを選ぶのか
年齢を重ねるにつれ
それを迫られることが多くなります。
皆様は今までどちらを選択し、これからどちらを選択していくのでしょう。
どれほど腹を括ってきて
これからどれほど腹を括っていくのでしょう。
愛を選ぶというのは
実は究極の喜びなのですし
皆様は頭ではわかっているはずです。
しかし、実行されている方がどれほど少ないことか。
愛しか選んでなければこのような世界にはなってないのです。
日本もそうです。
では、貧乏がいいのか?
そうではないのです。
愛を選んで全てを捨てた時
後から全てが手に入るのです。
全てを得るのが
地上にいる頃か
私たちの世界に来た時かはわかりません。
でも、必ず全てを得られるのです。
ですから、迷った時は
愛を選ぶ
魂の喜びを選ぶ
それでよいのです。