真夜中にこんばんは
日本に今いろんなエネルギーが蔓延しています。
准胝観音が話していたように
欲しい欲しいというエネルギーもそうですが
精神的未成熟というエネルギーも蔓延しています。
幼い、若い、つまり未熟なほうがよく
成熟するとむしろ
おじさんおばさんと蔑む
老いというふうな表現をする人もいます。
私はここ数十年で成熟する期間が非常に長くなった
或いは未成熟なまま、こちらの世界へ戻ってくる人が多くなってきたと感じていますし
実際にそのようになっています。
地上というのは、目的を持って己を磨くために行くところなのに中途半端に終わるか、磨かれずに終わる
或いは成長ではなく退化してこちらへ戻るという方も少なくありません。
長い魂の旅の中でそのようなことがあってもそれ自体また魂にとって味がでてよいのですけど
だからといってこのまま未成熟文化が蔓延していいわけではありません。
日本の神々は危惧しています。
神道系の神々の一人として
今の日本人を見た時
非常に幼さを全体的に感じます。
これは事実です。
神道系の神々はあまり分析するのは得意ではないのですが、感じることはできます。
感じたままを申し上げますと
やはり、古来より培われてきた日本的な調和や秩序が失われてきたのと比例して成熟さが失われたような気がします。
つまり、調和や秩序というものを重んじ実践できる人というのは精神性が高い
成熟度が高いということが言えるのではないでしょうか?
これは私個人の感じたことです。
神道系全体の感じたことではありません。
アマテラスやアメノミナカヌシがどのように感じているかは存じませんが
全くの的外れというわけでもないと思います。
最近の地上の様子を見てると所謂
「謝れない人」というのが一定数おられます。
これは私は二種類いると思うのです。
一つは自分が悪いのに謝らない
もう一つは自分が悪くないから謝らない
この二つです。
一つ目はわかりやすいですね。
二つ目は少し疑問でしょうか?
悪くないのに謝らないのはおかしいとは思うけど
何故悪くないのに謝らなければならないのかと感じる方もいるでしょう。
私からすると実はどちらも同じくらい未成熟だと感じます。
ああ、未成熟が悪いということではありません。
感じたままを今ここではなしています。
きっと二つ目の意味がわかり実践できれば、成熟度は確実に増してくるでしょう。
でも、自分が悪くないのに謝るなんてとんでもないという思いでしょう。
非常に負けた感じもしますし、プライドが傷つく
或いは損した気にもなるでしょう。
しかし、准胝も昼間
損して得取れ
と話していましたね。
自分が悪くないのに謝るという「損」をすることを先にしてみると捉えることはできそうですか?
成熟度が高い人はできてる方が多いです。
この時、納得できない感じがするでしょう。
何故何故?という気持ちも湧いてくるでしょう。
或いは、謝るというのを
「負け」だと感じるのではなく「気遣い」と捉えてみてはどうでしょう。
損得
勝ち負け
これで捉えると全てにおいて謝れなくなるのです。
どうでしょう?
少し「はっ」とされた方もいたようですね。
みなさんのゴールはどこでしょう。
地上世界のゴールはどこでしょう。
調和した地上
秩序だった地上
平和な地上
ではないでしょうか?
相手に謝らせてスッキリさせる
悪くないから謝らない
自分の主張だけに終始する
これで平和的で調和的な秩序だった地上が作れるのでしょうか?
これはとても日本的なやり方なのは知っています。
他国でこれをやると舐められるのも私はよく存じています。
が、日本人としてうまれたならばまずは日本人として
高い精神性を持ち
調和と秩序を重んじる担い手として地上を生きる
というのはみなさんの使命の一部なのは間違いのです。
日本人としてうまれたからには、ということです。
きっと私の話には賛否があるでしょう。
湧き上がる怒りが収まらないという方も出てくるでしょう。
納得できない方
自分の意見を曲げない方
色々な反応があるでしょう。
しかし、神道系の神々の中にこのような感じ方をしている一柱も存在するということです。
私は敢えて准胝観音に続いて神道系として一石を投じました。
みなさんはどう感じたでしょうか?
アモールの愛のメッセージはみなさんお好きなようですが、ならばこそ
愛がお好きならばこそ
謝らないというのは愛なのか
愛の行為なのか
愛とは一体なんなのか
ということを問いかけて
深夜のお話を終わりにいたします。
みなさま、ありがとうございました。