このツクヨミが
闇から光
闇から美
そういうソウルワークをせよと美しの宮に話して数年経つ。
その真の意味を知り実行したものは少ない。
なぜなら、多くは光を望む。
光を欲する。
そういうものだ。
しかし、望むということは
自分にないということでもある。
ないからこそ、欲する。
どうだろうか?
違うか?
己の中にある光でないものを見つめ
それを咲かせることをやっていけとこのツクヨミは美しの宮を通してずっと語ってきた。
これからも語っていくつもりである。
光で救われるものもいる
それは知っている。
だが、闇に救われるものもいる。
闇だから救われることもいる。
それを知らないと闇を一掃しようとする勢力が力を増す。
闇は闇としてそのままでいい。
そのままにしておけ。
日本は昔から
闇はなだめすかし祀り
ご機嫌を伺うということをしてきた。
それでいいのだ。
無理に闇を光にせず
闇は闇でそのままだった。
そして、各自の心の闇と闇が惹かれあって
このツクヨミに救いを求める時もある。
闇を否定するものは
ツクヨミを
ひいては自分を
神道そのものを否定することになる。
同じことを何度も話してきたが、いまいちピンときてないようだ。
それなら、光のみで生きればよろしい。
だが、その時に決して闇を否定してはならない。
自分が選択しなかったものを否定するでない。
なにしろ、アマテラスでさえ
何も変えなくていい
そのままでいい
そういってるのだから