私は地上時間でいうとそこそこ長くここでお話ししてきました。
そして、直接的な反応はなくともみなさんの反応
心の様子を見てまいりました。
その中で改めて話したいことがあります。
私はソウルワークソウルワークとソウルワークの話をしてきましたが
それは前提があってのことです。
どんなソウルワークをしたいか
どんなソウルワークをどうやっていくか
これも大事なのですけど
その前に
どんな自分でありたいか
これをもっと考えてほしいのです。
どうしてもこういうソウルワークをやりたいとか
ソウルワークでなくとも
何か仕事をする時にこんな職業をやってみたいと思うわけです。
どうやるか
どうなりたいか
を考えてしまいます。
でも、本当はそこはあまり重要ではないのです。
どうありたいか
全てにおいてこれなのです。
強い人でありたいとか
元気な人でありたいとか
そんな基本的なことです。
そこが決まれば、どんなソウルワークをしてもどんな仕事についても実現できます。
でも、私は思うのです。
どうありたいか
突き詰めれば皆
幸せな自分でありたい
ではないですか?
とはいえ、それはとてもハードルが高い。
なにしろ、地上ですと
他人から見た幸せな自分になりがちだからです。
私はそれが必ずしもいけないとは言いませんが
だんだん虚しくなってきます。
人から見た幸せな自分というのはなんと空っぽなのだろうかと気がついた時にみなさんはそれまでの自分をどう感じるのでしょう。
もう少し踏み込むと
今はアンドロギュノス、ツインレイと言うことが知られ、自分がアンドロギュノスではないのにアンドロギュノスだと思い
その道に邁進してる方が多くいます。
私はその方々について批判する気はありません。
そのようにして愛を学んでいるんだな
一生懸命なんだなと感じています。
しかし、よく考えてください。
私からこれだけアンドロギュノスの話が出ていて
それを読んだら
自分がアンドロギュノスであるかないかはわかるはずです。
なのに
アンドロギュノスである自分に固執する方もいます。
その方々から見たらアンドロギュノスは崇高な存在、なりたい存在、憧れの存在なのでしょう。
だから、本当の自分を見ずに自分はアンドロギュノスだと思い込んでしまう。
そんな危うい方もこのブログに来てらっしゃいます。
ですから、ずっと自分の内に入れとか
自分を見つめろとか
各霊人たちが話していたはずです。
愛を学ぶならばアンドロギュノスでなくてもいいのです。
愛の人、イエスキリストはアンドロギュノスではありません。
しかし、愛を貫いた人ではありませんか。
地球は愛の星なのですから
多くの方がイエスキリストのエネルギーを帯びており愛の使命を持っておりますから、無理やりアンドロギュノスだと思い込む必要はないのです。
どうありたいかの時に
アンドロギュノスの自分でありたいを選択するのではなく
愛に溢れた自分である
もうこれでよいではないですか。
アンドロギュノスの役割は役割としてあり
アンドロギュノスでなくとも愛の使命をもって生まれてきてる方もたくさんいます。
そして、もう一つ。
愛に溢れた人でありたいならまず自分に愛を注いでください。
他人にはその後で十分です。
ボランティア活動は大変素晴らしいのですけど
自分で自分に愛を与えられない人が他人に愛を与えて感謝されて満足している方もいっぱいいます。
ボランティアを本格的にやろうとしたら
並大抵ではできません。
全財産を捧げるくらいでないとできません。
困っている方に手を差し伸べるこころは美しく素晴らしいのは間違いないのですかど、困っている人に自分を投影してませんか?
困っている人を通して自分に愛を与えようとしてませんか?
この辺もよくよく自分の内をしっかりとみてください。
昨日の巫女のブログの内容が怖いとかきついとか
思ってるようでは
アンドロギュノスは務まりません。
アンドロギュノスの女性は闇を光にすればするほど強くなります。
それは男性を圧倒します。
太刀打ちできないほどです。
今一度秋な夜長に己をよく振り返って
自分の内と語らって
どうありたいのかをじっくりと考えてみてはいかがでしょうか?