こんはんは、みなさん。


さて、みなさんにはあまり興味がない話かもしれませんけど、巫女がね
ちょっこっとあることを話してたのでそれについて深掘りします。

法を説くというのは如来以上しか説けません。
菩薩はできないんですよ。
菩薩はお助けはできる
救える
楽しい気持ちにさせることはできる
楽しませる
でも、法は説けない
法を広げることはできる。

この違いです。

巫女がね
僕たちのメッセージが何百年何千年も残ればいいなあと言ってましたけど
僕たちのメッセージがある種、法だとして
法も賞味期限あるんですよ、残念ですけど。

最初は、その土地、その時代、そこに生きている人たちにあったように話してますから、後の世の人には合わなくなることがあります。
これは当たり前に起こります。
その頃になると、それじゃいかんってことでこっちからまた新しく人を送り出します。
その繰り返しです。

もちろん、根本のところ
真髄のところは残りますよ。
如来を通して神から出ている光が法となって地上に現れてるので、真髄はかわりません。
でもね、今だって数十年前と生活ぜんぜん変わったでしょ?
それと同じで法も変化する必要があるところとないところがでてくるんですよ。

僕たちのこのメッセージが何年後まで残るか分かりませんけど、時代に合わせて変化は余儀なくされるでしょう。


それとね、みなさんね
どんな気持ちでソウルワークやってるか知りませんけど、これいうと一部の勢力から黙っとけって言われそうだけど
名を残そうと思ってソウルワークしてしているうちはまだまだです。
ソウルワークやった結果、名前が残りました、ならいいです。

キリストも仏陀も先程名前がでてたモーゼも後世に名前を残そうなんて思ってないですよ。
社長クラスと自分を一緒にされても…って文句でそうですけど
でもね、功名心でやるもんじゃないですよ。
うまくいかないです。

今日、巫女はまた僕にいってましたよ。
メッセージの中身だけ残ればいい。
自分は大したことないし
モブなんだから
モブとしての人生をまっとうします
と言ってました。

巫女は自分のことモブだと思ってるようです。
これはちょっと自己評価低いような気もしないでもないですけど
天界の人と直接話すとね
そう思ってしまう気持ちもわかります。
どんなに地上ですごい人と話しても
天界の人と話すと規模が違いますからね。
肉体の有無って影響します。
だから、巫女は自分をモブって言い切ってました。

そこまで卑屈にならなくてもいいと思うけど
名を残す残さないのはどうでもいいと言う気持ちはわかります。

なんと言うかね
功名心あると、天界じゃない方面からつけ込まれますよ。
そこ狙ってきますから。
お気をつけてくださいね。
巫女みたいに卑屈になるのも狙われますけども。

まあ、みなさんそれぞれ思いはあるでしょう。
それぞれの思いの先には一体何があるのか
それを見つめてもいいかもしれませんね。