ワシは分けるとすると神道系の中の医療系ということになる、らしい。
ワシ自体はそんなことどうでもよい。
今ワシの声をきいてくれている主がなんと
過去に天皇家に縁がある方と聞いて、ならばということでここにきてみた。
ワシは難しいことは言えん。
しかし、日本人として健康についてなら少しは話せる。
今の日本人は不健康だらけ。
何故だと思う?
それは日本人の理から離れておるからよ。
日本人の理とは
まず神の存在を認め感謝すること。
神の存在など認めないものがほとんどではないか。
それでは健康にはならん。
神を信じずとも健康なものはいるだろうが、日本人の理からは逸脱しておるのだ。
そして、日本は天皇家がある。
神道系の神々が話していたように
日本は天皇家ありきの国故え、天皇家への感謝がなくてはならぬ。
それは右翼とか左翼とか些末なことではない。
日本の国づくりをするときに、天皇を中心として国を作ると決め、そのように国が作られ、その国に生まれたということなのだ。
同意してるということだ。
中心となるものへの感謝は必須なのではあるまいか。
そして、親への感謝である。
昨今は毒親というものが増え、痛ましい事件がおきておるのもワシもみておる。
ワシが肉体を持っておりた時も親は毒親であったぞ。
今よりも昔であったから親から殴られるのは当然。
止める人も誰もいない。
一日中木にしばられたり
食事を抜かれたり、そんなこともあった。
だから、毒親に感謝ができないという気持ちはわかる。ワシも同じ体験をした故に。
だがな、その憎き親がいないとみなはこの世におらんのだ。
勝手に産んだ
うまれたくてうまれたんじゃないと戯れ事をぬかすものもおるが
うまれてしまったのだから覆すことはできん。
感謝できないならばせめて
この世に生み出してくれたこの一点にだけ感謝をすれば良い。
暴力を親から受け続けたワシがいうと少しは説得力が出ると思うがどうだろうか。
最低この三つの感謝が日本人の理である。
これは外せない。
そして、細かいことをいうとするとよいか。
みな、食べずきておる。
我々の頃でさえ、腹八分目。
今よりも身体を多く動かしていたのに、だ。
今なら五分目いや、三分目でもいい。
そんなに食べなくてもよいのだ。
米と野菜の具の味噌汁程度で良いのだ。
ヴィーガンというわけではない。
イザナギも同じ意見なのだが、やはり動物を喰らうのは勧めない。
なにかしらの理由があって食するならよいが、そうでないなら勧めないのが神道系の意見である。
なぜかというと、動物にも魂があるぞ。
動物からの憎しみや恨みの念がないわけではない。
実際にある。
その恨みや恨みの念を喰らうことになる。
ワシはそれを避けたかったから肉は口にいれなかった。
驚かすわけではないが
動物の念の集合体は恐ろしいぞ。
それと肉を食べると悪い意味で地上化する。
地上にいるのに地上化は当たり前だが、日本人は
実は面白いことに
半分地上、半分天界というものが多かったのだ。
地上と天界の境目があまりなかった。
元々世界中そうであったが、他の国は早々とはっきり分かれた。
しかし、日本は意外にも最近までまだ曖昧だった。
今ニニギノミコトが「記紀語り」をしておるが
天孫降臨と言われてもなんだかはっきりしておらん。
実際にはっきりしておらんのだ。
天界に住むように地上に住むものも多くいた。
目に見えないものが見えるものが多くいたのだ。
天皇家の女性に巫女が多いのもそのためであるぞ。
だが、肉を食べるということは地上化することで
日本人の本質から離れてしまう。
天界と地上がはっきりわかれてしまった。
これは神道としては本意ではない。
そのような職についてる方々には大変申し訳ないのだがそれらの面でワシは肉食を勧めない。
ワシが話したことは今の日本人には受け入れ難いことばかりであろう。
現代の科学的側面、栄養的側面からは反論が来るであろう。
だが、日本人の健康面を全体として見た時ワシのいうことはなんら不都合はない。
コンビニではジャンクフードや甘いものが沢山売られいつでも誰でも買える。
その土地でとれたもの以外も気軽に口にすることができる。
それが本当によいことなのか。
異なる土地のエネルギーのものを口にしてよいのかどうか、考えたことがあるのか。
ワシのいうことは過激だったかもしれんが
老体の戯言として一笑に付してもらってもかまわん。
しかし、魂になにか響いたなら活かしてもらいたい。
日本人の健康のため
真なる日本人の再生のため