そろいもそろって

変化変化
変容変容

まあ騒々しい。

変化変容が必要としないもの、変化変容したくないものもおるのだという視点が抜けてるのではあるまいか?


確かに、今は変化の時代ではある。
それはワシも認める。
しかしだな(老子の家の池の鯉をじっと見つめながら)

変わらないということも大事であるぞ。
なんでもかんでも変えよ!というのはワシはどうかと考えておる。

それこそ陰エネルギーならば、地球や時代の流れやエネルギーを読み取って
その波に乗ってありのままでいればよいのではないかの。

変化というのは我を出すこと。
我はいらんのだな。
自然を見てみると我を出してるものなどおらん。

水は高きから低きにながれ
春に花は咲き
秋には実をつけ
冬には眠る
これで十分変化ではないのか?


ワシは巫女のいうこともわかる。
巫女は元々の性格もあって
新しいこと、革新的なことしたい
アイデアを出してよりよくしたい
というのがある。
この混迷している時代に必要な人材であるのは間違いない。
天界も危機感があるのはわかる。


しかし、その流れにのれないものもおるのだ。
こぼれ落ちるものもいる。
その者たちはどうするのだ。


このブログを読むものは
巫女と同じエネルギーで先陣をきって時代に切り込むものが多いだろう。
同じエネルギーをもつものしか読めないはずゆえ、そのようなものの溜まり場なのだが
自ら先陣をきれないもの
きりたくないもの
先陣をきるものに追従していきたいもの
実際のところ、こちらの方が多数である。

それを忘れてはいかん。

もし、このブログを読んで
自分は巫女のようにできない
他の霊人たちのようにできないと落ち込むものがいるとしてもワシはいう。
落ち込む必要はない。

巫女は切込隊長であり
新しい道を切り開くものである。
道を切り開くものは少なく、多くはその道を歩くものである。

だから、誰でもかれでも
このブログのメインで言われていることを鵜呑みにすることはない。

使命がそれぞれ違うのだから。

巫女と同じく先陣を切る使命があるならこのブログは魂に刺さるだろうの。

だがのぅ、ワシみたいなものもいるのだよ。
日がな庭の鯉を見ている方がいいというものもいる。

変化を望まないものもいる。

ワシがいた星。
ワシも「移民」の一人であるが、いかに心を乱さないか 
いかに心穏やかでいられるか
そこに重きをおく星であったぞ。
となると、日常の変化を望まないものも多く出てくる。もちろん、どんなことがあっても心穏やかであるということも大事だが
だんだん日常生活に変化を求めず、ひたすら安寧な生活を望むものがでてくるのだ。

それは決して悪いことではない。
神の一つの側面である。
だが、今の地球では少数派である。
ミカエルと相容れないのはそこなのだよ。

なにせ、ミカエルは地球にくる前から宇宙でも有名人。
本来なら地球にいるエネルギーではない。
素晴らしく偉大な魂の持ち主である。

だからといって皆がミカエルのようにはいきられんのだな。

ワシのような生き方もあるし、これもまた是である。

ワシは今こそ神道系の女神の話を聞きたい。
ニニギではなく
木花佐久夜毘売でもいい
市杵島でもよい。
日本という陰の国の陰な存在たちの話をきいてみたいものだの。

陰はそんなに変化を好むのかのぅ。

まあ、是非きいてみてくれ