さて、地上にいきてるみなさん。
みなさんは幸せいっぱい
光いっぱいの天国にいて
わざわざそうじゃない地上に出張にきてます。
地上が本拠地じゃないんですね。
出張ですよ、出張。
地上で色んなことを体験するのを折り込み済みできてます。
だから、地上は天界みたいな光いっぱいではないんだな。
だからこそというのか
地上を天国に下ろす
地上を天国のようにする
ということをみなさん程度の差はあれ使命として持ってます。
でね、中には光に対しての憧れが強すぎて
光光光
天のおわします光が最高です。
天の光最高ですっていう人もいるんですけど
ちょっとまってよと僕はいいたいんです。
確かに、天国の光は素晴らしくて美しくて憧れたくなる気持ちもわかるんですけど、なんというのかなー
まずね、地に足ついてないよね。
わかるかな?
それまで天国の光というもの、天国の実相を知らなくていきてきて
知ってしまって
びっくりして、光光光ってなるのはわかるんだけど
その時ってびょーんって天界の光に飛びついていわゆるグラウディングしてないんだな。
だから、地上にいるのに糸のきれた凧みたいにみえるんですよ。
地上にいる神道系の人だってやっぱり地上に出てるんだから、地上にいるということを踏まえてますよ。
その中で光一元っていうことをいってます。
この話、みなさん聞いて笑うかもしれないけど
結構多いんですよ。
びょーんってしちゃう人。
どれだけ天界とつーつーでたっても地上世界に住んで肉体あるんだから
地上世界のルールがあるわけです。
いくら、天国を地上にあらわすのが使命とはいえ
びょーんとしてたら逆に地上に天国下ろせないですよ。
つまりね、びよーんって行く人って表面だけなんです。
本当に心で天国を地上に表すってことを受け止めたら
そうそうびょーんとはなりませんよ。
天国の光光光ってなりません。
いくら本人が天国の光を語っても
天国の光になりたくても
空っぽの光ですよ。
僕は何回もいってますよね。
表面上でいくらいいこといっても僕たちには通用しないよって。
どれだけ外側飾っても飾れば飾るほど中身がないことがわかってしまいます。
地上にいるこの巫女でさえ通用しないのに、肉体のない僕たちなんてもっとわかりますよ。
天国の光を知って
感動するのはいいんですけど、そこからどうするかが肝です。
表層しか求めないのか
ミーハー的に
「私って光の女」っていっていくのか
ダークワーカーのように闇を使って光のソウルワークをしていくのか
いろんなパターンにわかれますね。
真の天界の光を感じたら
表層で光を追うってできないんですよ。
天界の光っていうのはみなさんの内面の話だからです。
物理的な光を感じるわけじゃないんですよね。
そして、光があるなら必ず闇もある。
巫女みたいに、光が強ければ強いほどまた闇も深い。
勝手に光が強いの憧れる人もいますけど、同等の闇を引き受けられるのかってことです。
そして、その同等の闇を光に変えられますか?
地上ででるってことはそういう諸々なものを含んでるんですよ。
ワーキャーいって光光って喜んでる場合じゃないんです。
そして、「光の勝利・闇の敗北」ということを言う人もいますけど
僕は非常に恐ろしい言葉だと認識してます。
神というのは光も闇も含んでます。
アマテラスもそうですよね?
闇を光をしないってはっきり言ってます。
神道系や太陽信仰のところは、神っていうのは太陽みたいに悪人にも善人にも同じように光を与えるんだよ
それは神の心と同じなんだよって説いてます。
こっちからみたらあいつは悪だ!闇だ!やっつけろ!
という心が善なのか。
相手が悪や闇なら善の自分はあちらにたいしてなにしてもいいのか?
これは僕以前にもいいました。
光を言いすぎる人にこういうこという人が多い傾向にあるんです。
闇を否定する考えの人がまだいますよ。
その闇が悪が自分の中にあるって気がついてないんです。
みなさん、あるんですよ。
自分の悪や闇をみたくないから人の悪や闇をみて叩きたくなる。
長くなったので終わりにしますけど
僕たちは憂いてますよ。
天国を地上に表すじゃなくて
地獄を地上に表してるんじゃないかって。
みなさんの心の中はどうですか?
天国ですか?
地獄ですか?