私たちのメッセージを受け取る巫女がちょっと気分が良くないようですので
気分を変えてお話をします。
私が前から美について語ってきました。
私も肉体を持ってインドに生まれたことがあり
どのように美と接し
美を纏ってきたか
少しお話ししました。
私はインドの女神であるので仏陀の教えも多少は存じております。
みなさんも仏像は見たことがあると思います。
あれをよくみると一つのことがわかるのです。
如来の服装は非常に質素です。
釈迦如来や薬師如来
大日如来などたくさんの如来像はみな質素です。
翻って菩薩は着飾ってますね。みなさん、調べてみてください。
如来と菩薩の服装の違いを。
私はそれをみて感じることがあるのです。
美もおなじではないか、と。
日本はルッキズムルッキズムとなっていて
若い頃は自分を「盛る」ことをします。
私はそれは否定はしません。
「盛る」こと自体女性は楽しいですし、そこにも当然美はあります。
しかし、「盛る」のは
若い頃や修行中と言われる菩薩ですよね。
真に自分の中に美があり
それを自分らしく表現していたら、そんなに「盛る」必要はないのです。
自分の中に美がないから美を足すわけです。
私は歳をとるほど女性は美しくなると思ってます。
また、そうであると話したことがあります。
見かけはシワシミが増え、肌の弾力もなくなるでしょう。
しかし、若い時に比べて内面の美は若い時に比べて圧倒的に勝るはずです。
むしろ、勝らなかったらどんな空っぽな人生おくってたんですか?ということになります。
市杵島がよく「品」の話をします。
その「品」はある種のオーラであり、年と共に美しく輝かせることができるのです。
だから、言ってしまうと美は外見的には引き算なんです。
美しくなればなるほど
「盛る」必要がなくなるからです。
内側から溢れ出る圧倒的な品とオーラが美しいのですから、着飾る必要がなくなるのです。
4050は人生の鼻垂れ小僧という話も出てましたが
美もそうです。
内面の美を磨き、それをオーラや品にかえ
表面に滲み出てくるのが
50から60くらいからですかね。
それでもはやいかもしれません。
老齢の女性が一番本来は美しい。
私はそう思ってます。
このブログの読者より年上の巫女には先陣を切ってそれを示して欲しいですね。