今は減りつつあるようではあるが、まだまだいる。

まだまだいるぞ。

みなはなんのために生きているのか?

嫌な仕事をしてお金をもらって生きてないか?
もう減りつつあるのは知っているが、まだいるのもしっている。

会社に入るとそうなってしまう傾向にあるようだ。
しかし、ワシは会社、企業というものを否定はせん。
当たり前だ。

何人もの人が集まって仕事をすることによって
一人で仕事するより大きなことができる。
そんなのはいちいちワシが言わずともわかるな。

だが、その仕事が嫌なのに金のために続けてあるのが問題なのだ。


金の奴隷になってはないか?

いつから日本はそうなった?
やりたくないことを金のためにするようになる人が多い国になったのか?

金とはそんなに重要なのか?


全く金がないのも今の地上では困るだろう。
しかしな、みなよ。

嫌なことをやるためにうまれてきたのか?
金のために人生を送るためにうまれてきたのか?


最近では好きなことでいきていけるということが少しずつ知られ始め、やっている人が増えている。
ワシは良かったと感じておる。


例えばの、なんでもいいが
映画を見るのが好きな人がいたとする。
ワシの頃はなかったから映画なんて良いものが今はあるの。それも家でみられるとは。

での、映画を見るのが好きだけで暮らしてはいかんと周りはいうだろう。
だが、その者視点の映画の感想をずっと発信し続けて
いつのまにか仕事になるということもある。
すぐには、仕事や金にならずとも好きなことを諦めずにずっと続けていくと結果は後からついてくる。

なにしろ、イヤイヤやっているのと好き好んでやってるのではエネルギーも違う。

ソウルワークといかなくてもいい。
嫌なことをやめて好きなことをやるということをしてほしい。


ワシをみてみよ。
好き放題したぞ。
そしたら、どうだ。
神になってしもた。
イザナギの息子だったとはいえ、アマテラスの弟だったとはいえ
好き放題して、今は神よ。

日本はそもそももっともっとのびのび好きなことをして成り立つ社会なのだよ。
ワシという立派な前例があるではないか。
アメウヅメも好き放題踊ったし、アマテラスも心のままに引きこもりした。

のびのびとしておったのだ。


みなも窮屈な人生に自ら追い込むことなく
好きなことで満たしていこうではないか。


と書いたら、ワシと同じようなことを言った人が外国にいたようだな。
まあ、話すこともにてくるだろうて。
神理なんていうものはそんなもの。