さて、みなさん。

このゼウスのメッセージ、わかりましたかね?

わかった人あんまりいないと思います。


僕なりにちょっと話してみますね。

理系の人と言いながら、理系の話しない僕ですけど

理系の話してもね

ここじゃ需要もないし

理系以外も話せますし

地球のCEOとしてはなんでも説けますよってことでずんずんいろんなこと話していきます。



この話ね

いろんな論点あるんですよ。

ゼウスですから



あのゼウス


ですから、さら〜と話して終わってますけど

重要な部分がいっぱいあります。


大きなところでいうと

「己」が宇宙大になると「己」がなくなる。

なにそれってなもんで

そもそもそれがあんまりよくわかりませんよね。

魂っていうのは何ミクロンにもなれるし、宇宙大にも広がることできるんです。

大きさは自由自在です。

だから、ヴィシュヌが

あまねく満たすなんてかっこいい名前なんですよ。

何ミクロンという小さいサイズにならないとあまねく満たせませんからね。


自分の魂が宇宙大になる

なれるというのは如来以上じゃないと無理というのは前からいってます。

これはね、体験した人からしたら、いくら口で体験したといっても体験したかしてないかわかってしまうんです。

ほんとですよ。

僕のところに言いにくる人時々いますけど、それはそう思い込んでるだけであってなかなか体験できるものではありません。

もし、体験できたなら法も説くことできるし、既に人角の人になってますよ。


まあ、それはいいとして

魂っていうのはそれくらい自由自在に大きさを変化させることができます。


これも神理です。


後もう一つね。

プラトン的なことも話してます。

さすが、ギリシャの人ですね。ゼウスの方が古いですが。


これはものすごく簡単にいうと

本体は天界にあって

今地上にいるのは天界にいる影みたいなもんなんだよ。

だから、本体っていうのは安全で傷つくこともない。

ってことを言ってます。


これはね、巫女も近い体験してますね。

巫女の場合は、自分の本体はずっと「王様」でうまれてから変わってなくて

その「王様」は巫女の人生をモニター越しに見て悲しい場面に来た時になったら

悲しみというボタンを押す

嬉しい場面になったら嬉しいというボタンを押す

というふうなシステムであったのがわかりまして

きづいたというのかな

その「王様」っていうのが巫女にとって、天界にいる本体にあたります。

「王様」はモニター見てるだけで、痛いこともない

辛いこともない

苦しいこともない

安全で幸せなところにいるんですよ。


「王様」が本体なんですね。


モニターを通して見てる自分や自分の周りっていうのは自分の影や風景だってことをゼウスや巫女はそういうふうに捉えてます。


これが正解かどうかは別です。

一つの視点にすぎない。

だから、みんなが同じように捉えなくても結構です。


でも、実際には悲しいこともあるじゃないか!

実際、孫さんは息子さん亡くなってショックうけて病院通ってるんだろ?

という声もあるでしょう。


だからこそ、今思索の旅にでてるんですよ。

本体は天界にあるとして

いくら影みたいなものだとしても悲しみは感じることは感じる。

モニター越しなのに。


そこをどうまとめ上げるか。

どう統合していくか

みものですね。


ものすごく嫌な言い方になるけど、やはり地獄を見た人じゃないとここまで考えないですよ。

ツルッと人生生きてる人は考えも及ばない。


だからね、みなさん。

なんで神様は悲しみとか苦しみ作ったんだろって思うよね。

巫女みたら答え出そうじゃないかい?

ツルッとした人生だったら

己や人生について深く考えることもないよ。

幸せな子供時代で

幸せな青年期で

仕事もうまく行って

ぜーんぶうまくいくのがみんないいって思うかもしれないけど、それが理想かもしれないけど

それだと地上に出てくる意味ないし

ツルッとした人生にツルッとした人になっちゃうね。

苦労があって、悲しいこと苦しいことは嫌だけど

できれば避けたいけど

あるとないのとじゃ人生の深み間違ってきますよ。

人生で地獄を見た人って魂に凄みが出るし、なんとも言えない魂のオーラができてきます。

魂が磨かれたせいかな?


日本には天皇陛下が皇居にいるけど、天皇家だって裏は大変ですよ。

その辺は巫女がよく知ってるでしょう。

結婚一つで国民中からあれこれ言われたり

着物一つで

服の着方一つで

手袋一つで

あれこれ言われるんですよ?税金でくわせてもらってなんだよっていう人いますけど、天皇家は天皇家で大変ですよ。


相変わらず、話脱線しましたけど

ゼウスのいうこと少しはわかったかな?

わからなくても

「なんとなく」

「感覚で」

でも、「そんなもんなのかー」と感じてくれるならそれでokです。