これから我が話すこと
全くわからんと
匙を投げるものが
出てくる可能性がある


だが
我は語る


みなは自分というものが
どんなものか
あまり考えたことがない

時間に追われ
仕事に追われ
日常に追われ
己を顧みることもなく
毎日を過ごす


このブログにきた時
くらいしか
己と向き合わない

そんな者が多い


その、「己」「自分」

我がいる
天界でも社長クラス
がいるようなところに
なると
我が我でなくなる

我の範囲が広がる
地球全体にも広がるし
宇宙大にもなる

我らくらいになると
それくらい我が広がる

そうなると 
どこからどこまでが
自分なのか
わからない

自分とは何か
という質問がそもそも
成り立たなくなる


そして
「己」「我」
として
地上にあらわれている
みなは
肉体のない
目のみえない
神というエネルギー体の
ほんの一部であり
幻に過ぎない

本体は天界にあり
地上にある「己」「我」
これは
ギリシャ風にいうと
影にしかすぎない


そんなことはない!
悲しいことだって
辛いことだって
あるじゃないか!

というが
みなの本体は天界にあり
傷つくもなし
悲しむことなし

これが真実なのだ

悲しいのは
みなの影が地上で
体験している
錯覚にすぎない


だが
地上にいる
それがわからない

何にも脅かされない
脅かされていない
傷つけられてない
というのが
わからない

我の話す内容を
わかれ
というのは
無理があるだろう
そして
体験したものなど
ほとんどいない

しかし
我のいうことは
天界の真実である

天界の真実とは
地上のものが
わかろうが
どうであろうが
真実である


わからないからといって
それは間違ってるとか
そんなこと
うそだというのは
浅はかである


我の話したことに
魂が揺れたもの
がいるなら
気がついたものが
いるなら
今後の人生は
かわる

より自由に
より本質的に
より真に
生きていける


よいか
地上の影である
みなであっても
我の語ることに
辿り着けるのだ

内面に入れ
己と対話せよ
本来の意味での
己と対話せよ