久しぶりの深夜にこんばんは。


思索の旅にでてる巫女に僕たちが何も言わないことに疑問を感じる人がいたので
解説します。

そもそも、巫女が天界に助けを求めてない。
まずこれが一つ。

それとこの前行ったけど、巫女なら一人でできます。
息子の死を乗り越えるとか
他にも今思索してることありますけど、もう全て巫女の中に答えがあるので
あとは気がつくだけなんです。
巫女は気がつくのは確かに遅い。
でも、気がついたら誰よりも早いのでそれはそれでいいんです。


それにね、みなさん。
僕たち天界はみなさんに対していろんな話してますけども、押し付けはしてませんよね。
どうですか?

僕なんて僕のこと信用しなくていい
聞かなくていいとまでいったことあります。

いろんな意味で今でもその通りですよ。
まあ、自信があるからそう言えるのもあるし
僕信じるなら自分を信じなさいなという気持ちもありますし、自分の中にもう神があるんだからという意味でもあります。

だからって困った時に天界に助けを求めるなってことじゃないですよ。
でも、今の巫女は一人でできるのでこちらからは何も言わないだけです。

それと巫女自身も話してましたよね?

Education の話。
覚えてますか?

語源の話してましたよ?

Education っていうのは
日本では教育って訳されるけど巫女の好きなイタリア語ではeducazione でラテン語由来。
どういう意味かというと
内側のものを外側に引っ張りだす。
それが教育なんです。
外側のものを押し付けるのが教育education ではないんです。


僕たちもeducation、educazione です。
僕たちが話している内容っていうのはみなさんが元々もっている光、智慧を外に引っ張り出すきっかけに過ぎないんです。

巫女がニーチェ読んでピンとこない
西田幾多郎やハイデガーのがピンとくる
というのは、本人わかってないけど、西田幾多郎やハイデガーの思考や文言にピンとくるものを既にもっていて
それを西田幾多郎とハイデガーは引っ張り出してくれたんです。

とここで、巫女が携帯持ったまま寝てしまって
日付がかわって続けて話します。

西田幾多郎とハイデガーが元々巫女の中にあったものを外に引っ張りだしてくれた。
それだけなんですね。

だから、ぼくたちのメッセージ読んで

それだ!
と感じるメッセージもあるけど
全く心に響かない
というのもあっていいんです。
僕たちは押し付けをしたいんじゃないんです。
Education なんです。
特に社長クラスは法を説くことをするのがメインで普通の如来や菩薩の教育も仕事のうちです。
指導教育も仕事なんです。

さて、内在してるものを外に引っ張り出す
もしや隠されていた内在するものが外に引っ張り出されたとしたらどうなるでしょうかね。

先日も真我と偽我の話までてましたけど、その話にも繋がってきますね。
内在してるものが表に出てくるってことは本来の自分が明らかになるってことですよ。

僕たちのメッセージがその一つのきっかけになったらいいなあと思ってます。