相変わらず、美しの宮。
我々の声を受け取ってくれる巫女である美しの宮は思索の旅の途中です。

なかなか楽しそうな思索ライフしてますので、ご安心を。


さて、その美しの宮の思索ライフから少しだけ。

僕が思うにですよ
アマテラスの孫のニニギノミコトが思うに
西洋って客観性を重要視します。
そして、自分を出してきます。

我思うに我あり
っていうのは多分日本人だとあまりピンとこないはずなんですよ。

自分があって他人があるとか客観性とか
そういう感じなんです。
でも、日本って違います。

いいとか悪いとか
劣ってる優れてるではないではよ。

日本は客観性というよりも
大きなものが先にあって残ったものが自分ということで、自分が後なんです。

この辺は前回も話しましたよね。

でね、客観的っていうのは距離があるってことなんですよ。
僕とみなさんは距離ありますよね。
あの世とこの世。
すごい距離あります。
その距離です。
だから、僕は客観的にみなさんに対して話ができるわけです。
美しの宮に対しても
巫女とはいえ地上の人間ですから距離があります。
距離、あいだ、すきま、間
空間、なんでしょうね。
そういうものが発生します。

でもね、日本は地理的に言ってもそういう客観性をあんまり持たないできたんですね。
それはアマテラスとかアメノミナカヌシの方針でもあります。
西洋と真逆の陰の道を進もうってことでそうなりました。


美しの宮が時々話してるのを覚えてますか?
彼女は自己観察の話をしてます。
エゴってるなあときがついた時、エゴと自分は離れたからそこからなりたい自分を選べばいい。
エゴと一緒になってるとエゴってることさえわからない。

これ、時々話してます。
つまり、日本は同化なんです。
そういう文化です。
だから、画一的になったりとかね、悪い面ばっかり最近出てきて僕は残念ですけどいい面もあるんですよ。

同化ってことは阿吽の呼吸okです。
非言語でコミニケーションできるってことなんです。
これも日本の特徴です。


そしてね、自分となにかの距離が遠くても近づいていくことありますね。
なんでもいいです。
お花だとしますか。
今なら紫陽花

最初は遠いですね。
探すところから始まる人もいるでしょう。
そして、みつけて
ピンクや青や紫
ガクアジサイとか実はいろんな種類があるっていうのがわかります。
ここでだいぶ距離が近づいてます。
そして、じーっとみていて
ああ、こんなに紫陽花の色って綺麗だってんだ
青系の花って少ないけどこんなに美しかったんだという状態っていうのは紫陽花と自分が同化してる状態です。

もっともっと同化した時
美しいとも言語化できないでただじっとみいって
所謂みてるだけでゾーンに入ったとき
入る時もあるんですよ。
その時、神の領域に足を突っ込んでます。
全てを忘れて紫陽花の美に全身全霊を同化させてる。


だからというわけじゃないけど、僕はもっと自然に目を向けてほしいです。
そして、自然を食い入るようにみて同化して
神の領域を体験してほしいです。

客観性も大事ですけど
逆もまた然り、ですよ。