さて、みなさん。
巫女は自称「思索」の旅に出たようですが
僕は無視して話します。


みなさん多様性とか平等とかまあいろんなこと言う人いますけど
ひとつだけ確実にみなさんに平等なものがあります。
それはいつかくる「死」です。

みなさん、若いから死ぬことなんて考えてないでしょ?
だいたい、今の三次元世界の人で死を考えて生きてる人っていうのは病を患ってるとか
なにかつらいことがあるとか
そういう人くらいで、ほぼ死なんて遠い未来のことだって思ってます。
でもね、巫女の息子みたいに33年でこっちに帰ってくる場合もあるし、巫女のお母さんみたいに来年米寿って人もいます。
とはいえ、オギャーと生まれた時からみんな死に向かっていきていってます。
それもその「生」がいつ終わるかわからずに。

地球の地上ってのは不確実的要素万歳から始めていくんですね。
ある意味、みなさん冒険者ですよ。
だから、ほんとにね、いきてるだけですごいです。
海図もないのに船走らせてる船長さんなんですから。

さて、この「死」ですね。
自分にもいつかくるし、家族にも友人にも周りの人にも来ます。
だからこそ、今を精一杯いきろ!っていう人もいますよね。
それも同意しますが、洞察力ある人はなんで神は死を三次元世界に置いたのかって考えるかもしれません。


まあ、どこの星かは言いませんけど、不老不死の星ってあったんです。
寿命がないとか
あっても10000年とかね。
そうなるとどうなると思います?

自分の組織、会社考えてみてよ。
いやーな部長がいつまでたっても辞めないで部長だ!っていばっているんですよ。つらいですよ。
物事停滞しますよ。

その星もそうで、やっぱり停滞したんです。
うまくいかなかったんです。そりゃそうなりますよね。ずーっと変わらないってことは停滞しかないってことですから。

それに神は人も自然の中の一つのものとして捉えてますから、循環の輪の中にある一つの構成要素ですからやはり死というのは
死というと悲しくなっちゃうから
肉体を離れて天国へ帰るという循環ね
これを考えたんです。

みなさんの身体もそうでしょ?
よく考えて。
赤ちゃんが大きくなるっていうのは古い細胞が死んで新しい細胞がどんどん生まれてきてるんですよ。
新陳代謝って言いますけど、それでおおきくなっていってますね。
だから、「死」は確かに悲しいけど、悪いことばっかりでもないんですよ。


確かに、自分の子供が死ぬとか
友達が若くして死ぬとか
悲惨な死に方するとか
そうなると100歳で死んだっていうのと受け止め方が違うのは僕もわかりますよ。


でもね、わざわざこの不確定要素万歳の世界へ海図なしで生まれて
いつ帰天するかわからんっていう人生歩んでるのみなさんなんですよ。
そもそもね。
みなさんが選んでる。
そして、大往生じゃない「死」を体験することもあるかもしれない。
そこからね、学べることはいくらでもありますよ。

巫女のお父さんは巫女のおばあちゃんが亡くなった時
一気に仏教に救いを求めて
とても勉強してましたね。
京都の偉いお坊さんと対等に話せるくらいの知識と教養を身につけて、死や救いに向き合ってました。

だから、人の「死」っていうのは自分を内省するきっかけにもなりうるわけです。

巫女の前世の子供でもそういう人もいました。
だから、確かに地上の人からしたら悲しい。
僕も知ってますよ。
ショックだし悲しいですよ。
言葉で言い尽くせないくらいのものがあります。
でもね、それで終わりじゃなくてね
折角そこで「死」をつきつけてくれたんだから
ありがたくうけとって
己の死生観と向き合うとか
生き方考えるとか
内省するタネにしたら
死んだ人も喜びますよ。

おっちんじゃったけど
かなしーでおわっちゃったらね、もっと悲しいですよ。


死の闇
死は闇かもしれません。
でもね、天界にくると地上の死が光になったりするんです。
あー肉体なくなって自由に動けるわーとか
そんなこと言う人もいるし
海図なしの不確定な世界からやっと抜け出してきた!とかね、そんなこといってるひともいます。
だから、みなさん、「死」を単なる悲しい出来事で終わらせるんじゃなくて
せっかく、みなさんの人生に「死」という一石を投じてくれたのだから
内省してみることです。


みなさんだいたいなんとなく生きてますから
人生なんて考えたことなく生きてる人もいますから、せめてこのブログ読んでるみなさんくらいは
「死」について内省してみてくださいよ。
生きるということは死ぬこととセットですからね。