理系の人の後に私などがお話しするのは畏れ多いのですけど、少しだけお話しします。
巫女の言葉を借りれば
形而上と形而下と二つあります。
概念と現実ですね。
如来の方々は法を説くので形而上の話をすることが多いです。
つまり、概念の話です。
それを我々菩薩たちが地上へもってきて現実化したらどうなるかというのをやっている場合もあります。
菩薩はいろんな仕事があります。
現実化もその一つです。
そして、仏教的にいうと
現世利益というのがあります。
現世はこの世です。
利益は利益です。
つまり、あの世ではなくこの世の利益ってことです。
仏陀はあの世もこの世も幸せになる法を説きました。
この世は儚いから
永遠じゃないから
と厭世的にとらえていたわけではなく、この世だってハスの花のように泥からだって美しくいきられるではないかと今世でいきることの素晴らしさも語っております。
決して、今世でいきることを否定したり、現世利益を否定はしておりません。
私はむしろ、今世幸せに暮らせるならば
そんなに神理を追求しなくとも良いと思うのです。
現世利益でもいいじゃないかと思う部分もあります。
しかし、それは範囲としてはやはり菩薩どまりなんです。
如来は現世の幸せではなく魂の幸せを考えて法を説きます。
有名な話ですが
ある男性の婚約者が浮気しているところを見てしまった。
絶望していると、そこへ仏陀が現れた。
仏陀は、さぞや今絶望していることだろう。
しかし、仏陀の法を知ったのなら今世はもとより来世もあの世でも幸せになれると男性にいったのです。
男性はすぐ仏陀の弟子になりました。
私は菩薩ですから、法を説くことはできません。
限界があるのです。
みなさんを救ったり、お手伝いはできます。
それは私をはじめ、勢至も観音も准胝も他の菩薩も
異国の菩薩クラスの方々みなそうです。
でも、法はやはり如来様しかとけない。
文殊菩薩といわれた私でさえ文殊菩薩が100人かかっても一人の如来様にさえ太刀打ちできないほどエネルギーと法の理解度の差が歴然として存在するのです。
私はある方で、現世利益を話している人を知っております。
本当はもっと法を話せると思っておりますが、敢えて一段自分を「落として」現世利益を話しておいでです。
勿体ないと思うのですが、本人の使命として受け入れているようで、私は介入しません。
が、いつか巫女が
あなたほどのひとが何言ってんの?!
と下町の女性らしくはっきりと言う時がくるのではないかと思っております。
形而上、形而下
両方いい面がございます。
しかし、われら仏教系から話したとしてもやはり形而上あっての形而下。
概念あっての現実化と私普賢は思っております。