ちょっと今気になることを耳にしたんでその話をします。


まず、神道系の人たちが
本来の日本を取り戻そうとか、本来の日本人はこうだったとか言ってます。
もっとなんですけど、僕は大きく分けて二派分かれると思いますし、二派の中でもさらに別れていくと思います。

懐古主義っていうのかなー
昔はよかったなんて
ロマン感じちゃって
老害がいってることみたいにならなきゃいいなあとは思ってますけど、でも
日本は日本で使命があるし
日本を選んで生まれてきた皆さんには日本人としての共通の使命はありますから、それを生まれる前に計画してきたんだから忘れないでーという神道系の必死の叫びもわかります。


あとは、本来の日本人に戻るだといったってそもそもどれが本来の日本人だ?とか
そんな昔の日本人に今から戻れるのか?
って問題もあります。
だから、ニュー日本人というのか、全部はむりだけどよいところだけ残していくとかね。その方法もありますね。
色々あります。
その辺は神道系から指導が入るはずです。

そっち派とは別に
いいじゃんか。
西洋風でいいじゃんか
このままでいいよ
という人たちもでてくるでしょう。

僕は、今後別の表現として二派にわかれるよとは以前にもいったことあります。

正解はありません。
その人の魂の発するところのままにいくしかないです。
けど、けど、神道系の神々の声もちょっとはきいてもいいかなという気がしてます。

あとね、よく
自分探しなんて言葉ありますけど
僕よくわからないですね。
昔は自分探ししにインド行ったりしてた人もいましたね。まあ、わかりますよ。
日本と違う常識に自分を置くと自分がどうだったかわかるというやり方ですよね。

でもね、日本人みんなインドいけないです。
巫女だってインドいってないですよ。

自分ってなんだ
自分とは何かなんてね
悩むのはいいけど
そんなに決めなくてもいいんじゃないかな。
というよりね、大人ならそんなことで悩むなら別のことで悩んだほうがいいです。
そんなことで悩むのは思春期だけですよ。

また、巫女は最近
私は誰だ?と呟いてましたけど、巫女みたいな人はまた別ですけど
通常は自分探しについての折り合いは思春期で終わらせるもんです。

外に求めるんじゃなくて、インドいってもいいけど
どこにいってもいいけど
自分はどこにいってもついてくるんだから
そしたら、自分の内に入るだけですよ。

インドいったって自分の内に入らなかったら
自分探しじゃなくて単なるインド旅行ですよ。

自分は何者かなんてね
哲学者でもない限りそんなに重要じゃないんですよ。

哲学者じゃない人は
簡単にいったら、毎日幸せに過ごせればそれでokです。
本当に十分です。
幸せに生きられないから悩むんだけど、そしたら
人にあれこれ聞くより
己に聞く。
内に入る。
内なら神に聞くってことですよ。

昔の哲学者の言葉とか
僕たちのメッセージでも読んでいただいて感動してくれて人生役に立つこともあるだろうけど、それはね
みなさんの心の中に僕たちや過去の偉人たちの言葉がひっかかるフックが既にあるからなんです。
だから、琴線にふれるわけです。
ニーチェよんで全然わからんぜよっていってる巫女ですが、それはニーチェの言葉にひっかかるフックが巫女の心の中にないんですね。
だから、ニーチェの言葉がさらさらと流れていきます。
いっぽう、ニーチェに傾倒してる人もいます。
そういう人はニーチェフックがもうあって、そこにニーチェの言葉がひっかかって、おお!これは素晴らしい!ってなるんですよ。

フックの有無はその人のこれまでの転生輪廻とか魂の質とか個性によって色々です。


今日は難しかったかな?

神道系も今頑張ってますからね。
僕は応援したいですよ。