絶対と相対の話をもう少ししますか。
前にも話したんですけど、改めてね、したいと思います。


アインシュタインが言いましたね。
観察者によって見てる世界が違うよって。
アインシュタインは物理学者ですから、まさに理系からそういう声が上がりました。

見てる人によっては時間は進んでるように見えるけど
人によって遅れて進んでるように見えるし、止まってるように見える。

そんなことを言い出したんですね。

それはみなさん知ってますね。
でも、理系っていうのは必ず前提をおきます。
定義をします。
光の速さがこの速さで不変だったら
一番早いものだったらとも言いました。

僕がここまでで言いたいのはこの世は観察者によって見てる世界が違う
それを物理学者がいった
光速をもっとも速いと定義した。

です。

アインシュタインは、光速は地上では一番速くてそれは変わらないっていう前提で話を進めました。

ある意味、絶対的なことですね。
光の速さっていうのは絶対なんだと。

でも、その絶対の元において見てる人、立場によって違う現象がおこるという相対的なことをいいました。

絶対的なものがあるとしたら相対的になるよっていったんです。

今はだんだん光速より速い物があるとかないとか色々ありますが、光より速いものはありますよ。
これから見つかります。
そうじゃないと僕たち、地球に来られませんからね。
光速より速いことして地球にみんなきてます。

話がそれましたが
地上っていうのは
絶対的なものと相対的なもの、両方あるんですよ。
当たり前です。
そうやって神が作ったんです。
それでいいんです。

だから、神道系みたいに光しかないんだ!っていうのは相当神近き人たちの集まりってわかりますよね。
でも、神道系だって地上へ出ればそうも言ってられないくらいわかってますから、神道系の女性はあんまり地上にでたがらないんですねー。
乙姫様なんか竜宮城に引きこもって幸せいっぱいなのになんで闇も穢れもある地上にでなきゃいけないのっていって、拒否して竜宮城にいますよ。


僕はそういう女性たちに特に何もいいません。
それぞれですからね。
でも、せっかく地球にきたのに勿体無いなあとは思います。

天国、天界特に菩薩界以上になると相対っていうことが少なくなってきます。
絶対的な世界に住むことになるんです。
そうなると絶対的な世界のありがたみを忘れちゃうんですね。
もちろん、法を説く、広めるとかそれぞれのソウルワークありますけど
相対的な世界をまた体験したいっていうのもあるんですよ。

巫女もちょっと幼児の頃その記憶があって
新幹線に乗って遅い遅いって文句いってましたね。
巫女は新幹線っていうのは
今でいう瞬間移動装置みたいなものだと思っていて
なのに、普通の電車と変わらないじゃないかって憤慨してたようです。
まだまだ発展してないって幼子ながら怒ってましたね。
それは天界の記憶が残ってるんですよ。
天界だとある場所へ行きたいと思ったらもういますからね。
今円安で海外旅行も高くていけないなんて人多いけど
瞬間移動できたら飛行機、電車関係ないですから。
すぐいたいところにいけます。

また話がそれましたけど
相対の世界だとそういうプロセスも必要になってくるんですね。
移動時間とかめんどくさい手続きとかね。
飛行機なんて二時間前に空港に来いって言われますね。
あと、二時間暇ですよ。
お土産屋さんみたり、ちょっと食べたりして時間潰すしかないですけど
でも、それが相対の世界でそれも楽しめって神の愛なんです。
愛なんですよ。
すごくめんどくさいけどね
ずーっと絶対の世界にいると相対の世界に行ってみたくなるんです。
それで理不尽なこととか悲しいことなんか体験して
あー相対ってこうだったなーってそれが魂の糧になってそれぞれのアカシックレコードに残って智慧になります。


僕もいろんなこと言ってますけど、絶対と相対は両方あるよ
地上は相対の世界だよ
それを体験する場所だよ
神は絶対的で己の都合のいいのが神じゃないよというのは一貫してます。

みなさん、地上にいきたって100年くらいでしょ?
大変短い時間です。
不安だったり、苦しみだったり、相対の世界めんどくさい
色々捨てなきゃならないのきついとか
いろんなことあるでしょうけど、それこそが相対の世界の醍醐味ですよ。
それを十分味わって、寿命でこっちに帰ってきてくださいね。
こっちに帰ってきたら
菩薩が話聞いてくれるから
理系の人のブログ読んでましたっていったら
ほうほう、それでそれでって前のめりになって聞いてくれます。

それまではアメノミナカヌシみたいに
辛くても幸せ
悲しくても幸せ
きつくても幸せっていう相対の世界を満喫してください。