アテナからバトンを渡されましたが
読んで字の如く
偽我 ぎが
偽物の我、
偽の自分です。
真我 しんが
真の我
本当の自分です。

仏教的にいうと地上にいて煩悩に塗れたり
仏智にふれてなかったり
自分を顧みなかったり
いろんな理由で偽我になっていきます。
私から見ると何枚も服を着てるようにみえます。
それは常識という服
見栄という服
意地という服
マウントという服
それらをきてるから本当の自分がなんなのかわからない。
それらの服を一枚一枚脱いでいってやっと自分は本来裸でこれが一番自由な姿だったんだって気がつくのが仏陀の教えです。


私から見て偽我で生きてる人がほとんどです。
それはある意味仕方ないのです。
真我でいきると相当な変人として認識され爪弾きにされていきていけない場合もあるからです。
そういう人もいます。

ただ、今の日本ならば真我でいきても少々変人だと思われるかもしれませんが
生きていけます。
そして、真我の姿を見せることが二人目3人目の真我をうむのです。



巫女もメンタルヘルスへ通ってますが
いかにそのようなところへ通う人が多いか。
偽我で生きてるからではないでしょうか?
それも原因の一つな気がいたします。
真我が悲鳴をあげている故に心が不安定になりメンタルヘルスへ通うことになる人もいます。
今大変多いのですけど、真我で生きる人が多ければ多いほどメンタルヘルスは閑古鳥が鳴くでしょう。


みなさん、もう古い服は脱ぎ捨てて良いのです。
その常識も
プライドも
見栄もなんもかんもいらないのです。

全てを脱ぎ捨てた時の心の自由さを仏陀は語っています。
そして、本来の自分としていきいきと生きられるのです。

みなさん。本来の自分と出会うにはひたすら
自分と対面することです。
内側に入ることです。
外に答えはありません。

とはいえ、私もまだ菩薩の身。私もまだまだ全ての服を脱いでるわけではなく
修行の道半ばでございます。 
そんな私ですが、少しでもみなさんの参考になればと思い、こうして久しぶりにでてきました。

みなさんの参考になれば幸いです