アンドロギュノスの向き合いの中でいろんな問題が起こってきます。
それを一つ一つ乗り越えていくといつのまにか本来の自分と少しずつ出会えるようになります。

つまり、いかに偽の自分としていきていたのかってことですね。

それもアンドロギュノスですから「本来」の意味も
深く、本当の「本来」の意味です。
内面の隅々までの本来です。


私は詳しくないのですが、仏教でも偽物の我、偽我という言葉があり
地上界の方は通常は偽我でいきております。
偽我の説明は仏教系の方に譲るとして、本来の自分でいきてないのです。
それは地上界の常識に合わせたり、親や他の大人たちから言われたことなどいろんな影響から真我から離れてしまっているのです。
それをとりもどす作業がアンドロギュノスにはあります。

と、私がさらっと語っていますけれど
では、本来の自分ってなんでしょうか?
どんな自分が本来の自分なんでしょうかね。
それがわからないと本来にさえ戻れません。
口で言うのは簡単だけど、実はとても難しいことなのです。


私はアンドロギュノスを語る時いつもいいます。
アンドロギュノスは単なる可愛らしい恋物語ではない、と。
高僧並のストイックさがないと自分と向き合えないのです。