昨日の朝、スマホを洗濯してしまって…あはははは。

まあ、大丈夫です。


まだぼーっとしてるんでしょうね。
本人はあんまりわかってないけどね。


そろそろメンタルヘルスで哲学談義してても仕方ないと思ったので
しっかり「死」と向き合おうと思ったのですが
うちの父がうちの祖母
父からしたらお母さんを亡くした時に
仏教にどまはりしたんです。
私も門前の小僧で多少はそこで知ったり
母方の祖父が浄土宗のお坊さんの修行してたので
なんとなく仏教思想というのは若いうちに私の中にあったのかも。
でも、浄土宗、浄土真宗。これはもう仏教じゃないだろと言われる仏教なんですけど、救われる人も当然います。
自力でやってきたけど
やはりおおいなるものにお任せする
と言う気持ちね。
そういう他力ならわかるし
委ねるってことで救われることもあります。


あと、法然や親鸞だからこそできた他力ってのもあるかもね。
絶対的におおいなるものを心から信じるっていう気持ちが救いをもたらすって言うの。

あと、やはり法然も自力やったんだよね。
やってたけど、だめで他力にいった。
最初から他力ではなかった。

理系の人に聞いてみると
やはり最初は自力
それも7割8割自力でやって
あとは大いなる物に任せるという他力がよいっていってましたね。
全部自力も全部他力もよくないってことだそうです。



毎回同じこと言うけど
理屈ではわかってんのよね。
魂は不滅だし
北斗は魂で元気にやってる。
それはよーくわかってる。
でも、親として感情がなかなかついていけない。

まあ…感情なんてついていかなくてもいいけどさ。
そんな自分をうけいれていくしかない。
ゆっくりゆっくり
うけいれていけばいいんだけど、なんかどっかしっくりこない。


うちの父も私と同じで極めたがりだったから
お経というお経を読み漁ったみたいで
そこから何を得たんだろうか。
それはきけなかったなー。
聞いてもあの当時の私じゃわかんなかったかもね。


と思う反面
もう北斗の死をうけいれてるのかもしれない。
感情はまだあるけどね。
悲しいっていう感情はあるけど、死んだこと自体はうけいれてるのかも。
なんかそれさえもよくわかってないのよ。


そんな時もあるさね。
そりゃ、子供なくしてみなよ。
わけわかんなくなるよ。





しかしね、この前ふらっと散歩して感じてたのは
逆縁っていうけど
それって勝手な常識かもしれないって思った。
いや、親より子が先に死ぬのは逆よりきついよ。
でもね、なんかうまくいえないけど、子供の死という選択さえうけいれるのが親がなって思ったんだよね。


私を選んで北斗は生まれてきて
未熟な親の元元気に育って
よい奥さんとかわいい孫といて
それでも、理由はわかんないけど死を選ぶっていう…

私は父譲りの理屈屋だから理屈が通ってないとそこでとまっちゃう時がある。
なんで?なんで?ってなる。
でも、その「なんで?」を超えて
アマテラスみたいに
全てを受け入れて
「そうなのね。そういう選択したのね」って言えたらいいよね。

理屈なんかより
現実に起こってることを静かに受け入れる。
その時の感情も受け入れる。
それも「陰」かな。

北斗が死んで悲しみんだ

もうそれだけで十分な気がする。


悲しみから逃れようとするから余計悲しくなるから
真正面から悲しみを受け止めるしかない。


私は悲しい。

そこから逃げない。

そしたら、逆に時間薬で少しずつ癒えていく気がする。