このブログには哲学のこと興味ない人がほとんどなのでさらっと終わりにしますね。



まず、哲学といっても
僕から見ると二種類あるんですよ。
ギリシャの3人の哲人
ソクラテス
プラトン
アリストテレス

ソクラテスとプラトン
アリストテレスと分けられます。
もうこれははっきりしてます。

プラトンが書いたとされてる本の中にソクラテスが出てきますが、奇行が多いんです。
でもみんな、またか
ってほっといてます。
知りたい人は読んでみてください。
その場に立って微動だにしないとかね
戦場でそれやってますから、ソクラテスは。

その時、ソクラテスは天界に魂だか帰ってきて
あちこちいってるんですね。
戦場でそんなことしなくてもいいのにって思っちゃうし、ひとんちに招待された時にもその場に立ち尽くしてることがあって
ほんとに失礼なんですよ。
これも天界かえってますね。


哲学者でも天界と話せたか
話せなさなかったか
で思想が随分違うって言うのは以前に書きましたよね。
やはり、天界とつーつーだといってることがそんなに難しくないし
天界と話してないと理論こねくり回して難しくなってます。


某哲学者も言ってました。
ずーっと神のことを考えてきたけど
たった一回の神秘体験(神と出会う体験)でそれまでの思考がぶっとんだってね。
そうなんです。
思考の先に神はいないんですよ。
神という理性
神という理論はあっても
神はいないんです。
でもね、その人が思考して思考して思考したから神秘体験ができたわけだから
思考を重ねたのは無駄ではなかったんですけど

その違いですね。

そこで勘違いしやすいのが
自分は神秘体験したから神を知ってるんだと言う人が出てくること。
神秘体験の内容にもよりますよ。

口から「我は不動明王なり」なんて本人じゃない声がしたら、それは神秘体験じゃなくて
自称不動明王にさってもらわないといけない案件ですね。

神秘体験って文字に起こせないことが多くて
空海も体験してて
さらっと書いてますけど
あれは同じ体験か近い体験してないとわからないことなんです。



みなさんがもし哲学に興味あるうー!というなら
巫女の通ってるメンタルヘルスの先生じゃないけど
自分の哲学を構築してみるのもいいかもね。

天界とつーつーか
そうじゃないかなんてなかなか普通はわかりませんから、どっちよんだらいいのかわかりませんよね。

色々読んで自分にあったものを取り入れればいいんじゃないですかね。
でも、「陰」ですから
それだけは忘れずに。


あと、僕はそれほど哲学には興味ない派ですよ。