かっこいいアテナの後は僕です(╹◡╹)
陽キャがきました(╹◡╹)



美しの宮が日本的哲学やってるようですけど
なんでしょうかね
日本と哲学ってあんまり相性が良くないんですよね。

だって、哲学って美しの宮曰くかむかう、それから文字におこすわけですけど
日本って言語化をあまりしない傾向にあります。
もちろん、和歌や詩は昔からありますから
全く言語化してないわけではないのですけど
僕から見ると相性があんまり良くない気がします。
どうしてもそこに仏教的なことが入った方がわかりやすかったり、進めやすかったりしそうな気がしてます。


神道って光一元って
闇さえもそのままでいい
時間や経過とともに闇も光の一部になる、とか
神社に行っても御神体が鏡だったりして
結局、「自分」なんです。
自分に帰結するんです。

日本書紀や古事記読んで
そこから神道の心を読み取ってとやってもいいけど
訓詁学みたいになるし
理系の人は訓詁学好きじゃないみたいですけど、僕もあまり好きじゃないですね。
だったら、実際に神社に行ってかむかったほうがよほどいい。


例えば、神社って一応鳥居はありますけど
門はありません。
神社によっては、入ってもいい時間が決められてるところもありますけど、神社の作りからいうと「いつでもいらっしゃい」の姿勢なんです。
ここでも受け身、受容の精神があるんです。


美しの宮なんか京都いくと
朝の5時前、
夜10時11時頃に八坂神社にいくこともありましたよ。
そこでスサ( ˇ෴ˇ )によく文句ブーブーいってましたね。
その時間、いけるんですよ。 


それに上から見ると
神社って女性器の形に似てるのもわかります。


そういうことをかむかうまではいいけど
そこからどうやって文字におこすのか
うーん、どうやるのかなあ(╹◡╹)

美しの宮がどうやっていくのか、陽キャの僕は楽しみにみていますよ。