私はかつてのギリシャにおいてアテナとして名を馳せました。
それより前にも各地に置いて名を残してきました。
それは、私の魂が私の人生の主役として君臨し
紡いでいくことをよしと選んできたからです。
人生の主役になるということは自分の人生に責任を持つということになります。
どんな人生になっても受け入れるということですね。
誰のせいでもなく
自分の責任として。
私は今の地上の人を見ると
自分で自分を傷つけている方が多い。
だから、自愛ということが声高にいわれるようになったのです。
己が己を傷つける。
これは私からすると
自分が自分の人生を責任もって受け入れて地上で生きていく時には必要がないことになります。
みなさんの中にある
誰かから植え付けられたこと
常識
既成概念などがあなたを傷つける。
その傷がいつつけられたかは私にはわかりません。
でも、その傷が癒えてないから
ずっと傷ついたまま、さらに常識、既成概念に触れるとまた己を傷つけてしまうのです。
自分の人生を脇役としていきるなら
自分の人生に責任など持たず他人のせいにします。
そして、他人と一緒になって己を傷つけることに加担します。
その状態が神から見たらどう見えるか。
天界から見たらどう見てるか。
考えたことがありますか?
自分を俯瞰して見るということは大事ですが
神の視点で己を冷静に見てみると
ということをやっている人は少ないでしょう。
しかし、その少ない人は自分の人生に責任を持ち、主体的に生き
自分の人生を自分で選択していくでしょう。
簡単に、みなさんは自分の人生の主役ですか?
脇役ですか?
主役ならば自愛など息を吸う如く当然のことですし
自分の人生の責任を負うなど造作もないこと。
己の選択によって人生を切り開く者です。
いつまでも、被害者意識のままではあなたは人生の脇役のまま。
人生に翻弄され、自分で選択できず、人生に不満を持ち、本来の自分を発揮できず、その人生を閉じることになります。
みなさん、私アテナということで憧れてくれたり
尊敬してくれたり
アンドロギュノスのこととはいえnoteをわざわざ購入して読んでいただいたり
大変光栄ではありますが
一言
いつまで自分の人生の脇役に甘んじているのですか?
この言葉で私の今日のメッセージを締めたいと思います