のことを書きました。
私は典型的な体感覚で
まあ、巫女だからというのもあるけど、日本人は体感覚が元々多いんじゃないかとも書いた記憶があります。
体感覚の人って体験して得ていくのよね。
そう!体験から学ぶ人。
まさに「かむかう」
そして、言語外からも読み取る力が強い。
空気読むとか気が効くとかそういうのね。
だから、言語化がちょっと弱いところがある。
言語外で処理しちゃうからね。
日本国内でやってる分にはいいけど、外でこれやると埋もれるから
前も書いたけど、私が海外旅行すると主張がものすごく強くなります。
いちいち、主張しますよ。
こうしたい、あれやってくれ、これはどうなんだとかそれは日本にいる時とは別人クラス。
だから、日本に帰る飛行機で
あー主張しなくていいんだーってホッとします。
でね、日本人って無意識に言語外が当たり前だし、
昔なんてもっとそうだったと思うの。
で、某所に行った時。
かつては「なんとか京」といわれたところ。
私だったら、ここに宮作る!ってくらいエネルギーもなにもかもいいところなの。
マジ全てが良い。
この「なんとか京」をみて
某天皇が詩を詠むの。
それがね、その「なんとか京」の様子を見て某天皇が詩を詠んでるんだけど
なんとなく詠んでるとなんともないけど
体感覚で詠むと
ん?ってなるんですよね。
なんていうか
昔の人のがより体感覚進んでて見えないものが見えてて、「なんとか京」の土地からエネルギーが立ち上ってるのを感じてたんじゃないか。
それを詩にしたんじゃないかな。
そのエネルギーが龍に見えたかもしれない。
「なんとか京」がそんな。
だから、「なんとか京」の周りの自然や山からもいろんなエネルギーとか
妖精(?)とか
天皇以下一般民衆も感じられてたんじゃないだろうか。
だから、誰々が始祖で経典があってってそぐわないんじゃないかなーって。
そこここに人間より超越した、目に見えない存在がいたから
それをみたり感じたりじゃなかったんじゃないかな、と「なんとか京」に行った時感じました。
日本で哲学やるとしたら
日本の昔はどうだったかなとか
現地行ってみたりして
それこそかむかってみたりして
そこからかなーって。
私は今すぐはできないけど、数年前に京都奈良にかなり行ってかむかってきたので、それを元に改めて構築していきたいです。
岡潔も数学者なのに体感覚っぽいんだよね。
体感覚で数学者ってすごい。
もし興味があれば万葉集おすすめ。
体感覚で詠むとまた違ったふうに感じられます。