さて、ワシも一言二言話そうかの。

私も彼の地でそれは長く生きた。
長く生きるといろんなことを見聞きする。
当時は今より治安がもっと悪いからな
いろんな悲しいことも多かった。

その中で人は皆逞しくいきておった。

そうでないと生きていけなかったからの。

それでじゃ
ワシはの、思うのだが
ワシらの言葉をうけとってくれている巫女


巫女よ

お前は幸せになりたいのか
なりたくないのか

これをはっきりいたせ

確かに、息子を失って辛い悲しい。
それは天界の誰も知っている。
だが、よいか。
しかし、選べるのは知ってるだろう。

確かに今は悲しく辛い。
だが、お前には幸せになれるのだ。
それを忘れてはないか?

ずーっと辛い悲しい人生にするつもりなのか?


ワシが肉体を持った時に
川の流れに身を任せるように生きよ、というようなことを言った。
無理してあれやこれやするとうまくいかなくなることが多い。
つまり、人生の流れに逆らうなということを言った。

だがな、人生にはいろいろ分かれ道がある。
分岐がある。
ずーっと死ぬまで息子をうしなって悲しくつらい母親である人生か
今は辛く悲しいがいずれその悲しさから何かを生み出し、闇か?
闇から光や愛を生み出し皆に振りまける女性となるのか

お前は選べるのだ。

だが、どうも選べることを忘れ
一生悲しみの母親でいこうとしている。
だから、息子が心配しておるのだ。


今が辛く悲しいのはいいのだ。
だがな、今からでも選ぶことはできる。
今悲しくても未来は選べるのだ。

どんなに辛く悲しくても
肉体の息子にもう会えないと絶望しても
必ず自分は幸せになれる
そう選べるとわすれるでないぞ。


川をみよ、川を。
ゆったりながれておるが
黙ってさまざまなものを飲み込んで
そこで虫や魚や鳥を育て、やがて大海へ出るではないか。
今のお前はただ水溜まりになっているだけで
臭い匂いがしてるだけだ。
川の流れに身を任せるのだ。
そうしたら、臭い匂いも消え、分岐も見えてくる。
今は悲しくて辛いしかないかもしれないが
もう少しいけば、幸せになれる分岐が必ずある。

忘れるな。
自分の人生は選べるということを。
川の流れに身を任せてはいるが、分岐の時にちと体制をいれかえるだけだ。
難しくもなんともない。
それだけのこと。


ワシもワシの庭の鯉を愛でながらお前をよく見ておるが、お前の息子の言う通り考えすぎよ。

お前が陰ならば
川の流れに身を任せよ。
川の流れは大海へと必ずしも導いてくれる。

川を信じよ。
大海を信じよ。

まあ、他に文句ができたら
このじじいに文句をいいにきたらいい。
いくらでも聞くぞ。

巫女よ、忘れるな。

お前の人生はお前が選べる