私のエネルギーがソプラノ歌手のようだと美しの宮が話していましたね。
とても嬉しく感じます。
有難いことです。
私は今回「与える」と言うことを少しお話しします。
神道系といたしましては
「与える」という言葉はとても強く感じます。
「与えさせていただく」
という気持ちです。
「与えさせてもらえるのだ」という気持ちです。
一歩引いて
与えるということをできる喜びと
してもいいのだなという遠慮がちな気持ちがあります。
なんと申しましょうか。
与えるというのは
与える側がもっていることになります。
もっていないと与えられません。
では、私は持っているのでしょうか?
と思ってしまうのです。
木花佐久夜毘売は有名かも知れませんが
私が地上にいた時は
特別なことをしたわけではありませんし
自分を神だと思ったことはありません。
なので、自分が与えられるような存在なのかしら?と思うのです。
これは神道系の女性たちに多い傾向ですね。
だいたい神道系の女性たちが出てくる時
同じ様なことをいいます。
自分が出てきても大したことは言えないなどと言うことが多いのです。
それは謙遜もあるのですが
メッセージという、地上の人たちに向けてなにかエネルギーのあるものを「与える」ことができる自分なのか?という気持ちなのです。
もし、自分にエネルギーがあって地上に向けてメッセージを送ることができて
みなさんがそれを喜んでくださるなら
それはこちらも大変な喜びなのです。
神道系の「与える」というのはそのようなものです。
私たち神道系の女性たちを心模様を多少おわかりいただけたでしょうか?