この三次元世界において
肉体を持ちながらにして
魂を感じられる者は
少ない

魂を感じ
自由に生きることが
できるものも少ない


我がこのようなことを
言おうものなら
私はできてます!
やれてます!
あ、でも
間違ってたらごめんなさい

というものがいる

我は言う

我に何がいいたいのか

その時点で
自分はできてると
思っているなら
それでよし
さらに時を経た時に
あの時は
できてると思ったが
できてなかったと
思うのも
それで良い

できてる!
我にいいつつ
ごめんなさいと
謝る

我は皆を
ジャッジする立場にはない

我は感じる
主張をしておいて
謝ることが
自由な姿なのか

何かに囚われ
迷っている姿
なのではないか

主張してはみたが
我に怒られるかもしれない
だから
先に
あやっておこう



我に
そのような
小手先の
表面的なテクニックは
通用しない

我は
魂の全力で
来るものには
怒ったりしない
たとえ
間違っていても

我から怒られるかも
しれないからと
引っ込めてしまうような
主張なら
それまでということ

そして
よいか
よく聞け

間違ったら
怒られるかもしれない
というその考え

それは
己がそうだから
ではないのか
或いは
周囲がそのようなものしか
いないから
我のこともそう見るのでは
ないのか

よくよく
考えてみよ

我を
その辺のものと
一緒にしては困る
我はゼウス
全知全能である

地球の社長クラスの
一員である

かつてのギリシャにうまれ
ギリシャを治めた
ゼウスである

また
遠く
レムリアの土地において
指導をした
魂でもある

よく聞け
自分が考えないこと
しないことは
思いもつかない
想像さえできない

もっと別のものがあると
思いもよらぬ


だから
我は
自由になれと言うのだ

何にも囚われず
自由になれば
自分以外の考えがある
ということを
知ることになる

主張を
ぶつけても
怒る人もいるが
怒らない人もいる
ということを
知ることができる




そして
もう一つ
我は言う


我に主張を
ぶつけた時
違うと言われるのが
嫌なのだろう
傷つくのだろう

だから
間違ってたらごめんなさい
と先に謝る

間違っていると
指摘されると
何故傷つくのか

これをよくよく
考えねばなるまい

何故指摘されると
傷つくのか
何故だ?
何故なのだ?



どうも我から見ると
大きな殻の中にいて
狭い隙間から
外界を
伺っているように見える

心を開いてない

自分はここにいて
一人で立っている
何もかも
開かれていて
何を聞かれても
大丈夫ですという
自信と
情熱と
自由と
愛がないからではないのか


我の娘である
アテナが
自分と向き合えと
常々言ってるが
そういうことではないのか

何故傷つくのか
間違っても
いいではないかと
何故思えないのか
何故そんなに
オドオドしているのか

つまり

魂の自由を欠いているのか

つまり

本来の姿から遠ざっているのか


よくよく考えよ
よくよく振り返れよ