始めまして。
私は神道系の神々と言われる存在の中の一人です。
このような形でみなさんとお話しすることもなく
他の神々が話しているのをみてるだけでした。
でも、いよいよ私の番が回ってきたので
慣れないながらもお話しします。
私は、あまり知的に話すことはできません。
神道系は感覚、感性の世界ですから
知性ですとか言語化ですとか、とても苦手な方が多いのです。
なので、木花佐久夜毘売や市杵島は素晴らしいなあと感じています。
西の国のアテナが信頼ということを話していました。
私は、そのような考えがあるのだなあと感心して聞いていました。
私の場合ですと
信頼というより調和ということになるのでしょうか。
神道系の神々からは
循環の環の中にいる自分ということをなん度も聞いていると思いますが
大いなる宇宙や神の中の自分であり
自然の一部としての自分という捉え方なので
信頼と言われるとわからなくなります。
太陽があって
月があって
それが巡って
春が来て
夏が来て
秋が来て
冬が来て
また春が来る。
花が咲き
実をつけ
収穫され
枯れる。
私たちもその中にいます。
アマテラス様がよくおっしゃるのは
私たちは決して特異な存在ではなく
自然の一部として
全てと調和していくのだ
ということです。
敢えて信頼ということを言おうとするなら
調和が崩れた時に信頼も失われるのではないでしょうか。
この言い方だと調和が当たり前のように感じますが
アマテラス様は
当たり前のことはなにもなく、全てに感謝するようにともおっしゃっています。
自然の一部として
私たちが自然を支え
自然も私たちを支えてくれる
このようなお話をよくアマテラス様はしてくださいます。
日本も西の国のものが入ってきて
新しい流れができていますけども
だからこそ、昔からある神道の
自然の一部として循環の環の中にいる
全てのものに感謝する
というアマテラス様のおっしゃることを覚えておいてほしいのです。